歴史と神話伝説

 大河ドラマの「龍馬伝」を見て、坂本龍馬のファンになった人が結構いるようである。あるいは司馬遼太郎の「龍馬がゆく」も、おそらくは現在流布している龍馬像の原型になっており、「龍馬がゆく」を読んで坂本龍馬が好きになった人も多いだろう。
 さて、ああいう種類のフィクションに影響されることは歴史から影響を受けると言えるのだろうか。むしろ神話伝説に影響を受けていると考えたほうがいいのではないか。その手の話が好きな人は歴史ファンというより、神話伝説ファンと呼んだほうがいいように思う。
 坂本龍馬は百五十年ほど前の人であり、普通はその時代の人たちのことは神話伝説とは捉えられない。しかし、英雄としてさまざまな人によって尾ひれがつき、勝手な像ができあがっていくというのは歴史探求というより、伝説の機能と考えたほうがよさそうである。
「龍馬がゆく」を読んで坂本龍馬に憧れるのは、講談を聞いて荒木又右衛門に憧れるのと本質的には変わらないと思う。「おれは家康タイプ」「おれは信長タイプ」などと考えるのも、歴史というより神話伝説の機能だろう。