恥ずかしさについて

 全然自慢にならないのだが、おれは実は大変な恥ずかしがり屋で、その証拠にこの文章も赤面して、いやんと身をくねらせながら書いている。

 今までいろいろと恥ずかしい思いをしてきたのだが、どんな恥ずかしい思いをしてきたかは恥ずかしくて書くことができない。男はつらいよで寅さんがよく手紙に書く「思い起こせば恥ずかしきことの数々〜」という文句の感覚は実によくわかる。

 おれは独り言もよく言って、一番の口癖は面倒くさくなったときの「死にてえ」なのだが(よく「死にてえ、ああ死にてえ」とつぶやきながらアイロンがけをしております)、恥ずかしい記憶が突如としてよみがえって、つい独り言で「うぎゃああほぎゃげげげうわあああ」などと奇声を発してしまうこともある。人なかでこれをやらかしたときには、よみがえった記憶の恥ずかしさと奇声を発したことの恥ずかしさのダブル・パンチを食らっていやもう恥ずかしいの何の。おれがもし数学が得意なら、

と数列の総和で表したいほど恥ずかしい。

 一方で、人間が脳天気にできているせいか、ありていに言うと馬鹿なせいか、物事を深刻に捉えるということができなくて、晩年の太宰治作品とかにはどうも入り込めないんだが(「人間失格」はギャグとしか思えない)、太宰治の「生れて、すみません」という言葉の感覚だけはよくわかる。本当にねええ。生きてて、恥ずかしいよなあ。でも、生まれちゃったもんなああ。ああ、またいろいろ恥ずかしい記憶がよみがえってきた。うぎゃあああ。

 このままぼとぼと自分について書いていると恥ずかしさでどうにかなってしまいそうなので学術方面に逃げを打つと、恥ずかしいという感覚は優れて人間的な感覚のような気がする。他の動物は恥ずかしさを覚えるのだろうか。猫はあまり恥ずかしさを覚えなさそうだ。犬はどうだろう。はにかむような気はする。飼い主に叱られるようなことをしてたじろぐ仕草をすることもあるが、あれは恥ずかしがっているのだろうか。猿はどうなのだろう。人間に比較的近いチンパンジーは恥ずかしがるのだろうか。

 恥ずかしさというのは自意識をどういうふうに持つかということから来るんだろうから、恥ずかしがり方は人間以外の動物の自意識の持ちようを推測する手立てになるかもしれない。意外なところで、タツノオトシゴとかフジツボが猛烈に恥ずかしがっていたりして。傍目にはわかんないけど。