なぜ西洋語をカタカナにしたのか

 少し前に、森鴎外の文章は、文中にいきなりドイツ語やフランス語の原語がまじって、握り飯に食らいついたら石っころが入っていたような心持になる、というようなことを書いた。

→ いきなり外国語

 そのときに引用した鴎外の「津下四郎左衛門」を再掲。

当時の父は当時の悪人を殺したのだ。その父がなぜ刑死しなくてはならなかったか。その父の妻子がなぜ日蔭ものにならなくてはならぬか。こう云う取留のない、tautologieに類し、またcirculus vitiosusに類した思想の連鎖が、蜘蛛の糸のように私の精神に絡み付いて、私の読みさした巻を閉じさせ、書き掛けた筆を抛たせたのである。

 現在、こういうふうに西洋語の言語を文中にそのまま放り込むという書き方は、学術系の文章を別とすれば、ほとんどしない。しかし、考えてみれば、西洋から輸入した言葉を欧文表記ではなくカタカナ表記にしたというのは、ハテ、どうだったのだろうか。

 わしら(とは、日本語文化圏で育った者、という意味)は今、普通に漢語と和語の交じった文を読み書きし、それを不思議と思わない。しかし、成り立ちからすれば、漢語というのは中国で生まれ育ったものであって、それをそのまんま全然別の言語系統である日本語(和語)の中に放り込んだというのは、なかなかの蛮勇だったと思う(否定しているわけではない。むしろよかったと思っている)。

 しかも、ご先祖様方は、表語文字である漢字(原語の表記)を表音文字であるひらがなと組み合わせて使うという挙に出た。たとえば、

それに対する耐性ができている。

 という文は、表音文字で統一するなら、

それにたいするたいせいができている。

 と書けるはずなのだが、原語に敬意を表して――かどうか知らぬが――漢字をそのまま使うことにした。日本語は音素の数が少ないから、漢語に同音異義語がたくさんできてしまい(耐性ができている/体制ができている/態勢ができている/胎生ができている)、漢字を使ったほうが区別しやすいという事情もあったのかもしれない。

 でもって、時代は一挙に飛んで、ご一新の世の中となった。文明開化のために西洋からドッと文物を輸入した。今までになかった事物や概念もわんさと入ってきて、最初のうちは漢字を組み合わせた訳語をいろいろ作っていたのだが(鴎外先生も結構作っている。「交響曲」とか「長編小説」、「空想」、「女優」、「男優」。「情報」も鴎外作という説あり)、だんだん面倒くさくなったのか、カタカナ表記が定着していった。しこうして我々は、

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 なぞというクラクラ来るような文を目にすることになったわけだ。

しかし、この方法、いささか安易にも思える。外来語をカタカナ表記するというのは、漢語に置き換えてみれば、

ジダイはイッキョにとんで、ごイッシンのよのなかとなり、ブンメイカイカのためにセイヨウからドッとブンブツをユニュウした。

 というやり方である。わしらは外来語をカタカナ表記することに慣れてしまったから、違和感を覚えないだけである。

 西洋系外来語はどうせ和語、漢語とは別のところから来た言葉なんだから、漢語の直接導入方式と同じく、原語をそのまま日本語文の中に取り入れてもよかったんではないか(最初に引用した鴎外先生の文のように)。カタカナで読もうが欧文原語で読もうがどのみちわからない言葉はわからないし、調べる手間はさして変わらない。発音を変に解釈して複数のカタカタ表記法ができてしまう面倒を避けられるし(「マイクロ」「ミクロ」とか)、いくらかは欧米語に対する耐性もできたかもしれない。意味がわからないとき、原語の辞書を引けるから、元の意味を保持する役にも立ったかもしれないし、外来語を和英辞典で調べる(そして、全然別の言葉なので驚く)などという馬鹿馬鹿しい手間も省けたろう。外来語と英語を二重に覚える無駄もなくなる。何より、言葉というものに対するある種の態度と首尾一貫性を保てたんではないか。

 鴎外先生の思考はやはり論理的であった。でも、論理より安易が勝る世の中でもあるのよね。今さら後戻りは難しいだろう。