コケる人

 世の中には、なぜだか知らんがやたらとコケる人というのがいる。

 失敗する人のことを比喩で言うわけではない。文字通りコケるのである。もちろん、コントの話でもない。

 実は、かく言うわたくしがそうで、ガキの時分からよくコケた。

 一番よくやったのが、道の側溝にハマる、というやつで、なぜそうなるのかわからない。自分の中にもうひとりの自分がいて、表側の自分が油断している間に、もうひとりの自分がつつつつと側溝に歩み寄らせるがごとくなのである。

 表側の自分は万事問題なく進んでいると思っているから、片足が側溝の上に来たときに、引き続き地面を踏みしめる作業を行おうとする。しかし、そこに地面はない。ニュートンの発見した万有引力の法則は側溝の上においても有効であるから、理の当然として、片足は側溝へと落下する。わたしは、「ああ、プリンキピア!」と叫びながら、側溝にハマる。側溝の角で弁慶の泣き所を傷つける。これは痛い。声が出ないくらい、痛い。まったく、ニュートンも余計なものを発見してくれたものである。

 側溝の上に鉄板なんかのフタをしてあるところもある。ガキの時分は、どういうわけかあの上をよく歩いた。フタがあると、なぜだか歩きたくなるのだ。そうして、「♪プリンキピア〜、プリンキピア〜」と鼻歌唄いながら歩いていると、フタの尽きる場所へと至る。表側の自分はそのことに気づいていないから、やはり、落下、弁慶の泣き所、ニュートンへの恨み、と相成る。

 何もないところでコケる、というのもよくやった(今でもよくやる)。

 小学校のときだったか、登校途中にコケたことがある。一瞬、スキー・ジャンプのような見事な前傾姿勢をとった後にバッタリ倒れると、不運なことに、そこには一抱えもある大きな石があった。ちょうど額の位置に来て、したたか打ちつけた。「痛えなあ」と額に手をやってみると、ぬるぬるする。手を見ると、朱に染まっている。血まみれになって、泣きながら家に帰ったのを覚えている。

 その傷は今でも額にある。たぶん、石に額を打ちつけたあのとき、わたしの頭はどうかなってしまったのだ。本当はもっと頭がよくて、真っ当な人間のはずだったのだ。もしかしたら、世界平和に貢献すらできたかもしれないのだ。ニュートンのばか。