歴史にifは禁物だ、と言われるが、もし1945年2月のヤルタ会談と、その後の米ソ交渉で、ソ連が強硬な主張に出、アメリカが大きく譲歩していたら、と、わたしは時々考える。
「南はアメリカ、北はソ連」という形で「裏日本人民共和国」が誕生していたのであろうか。
裏日本人民共和国は、もとより冬の積雪量が半端ではないから、工業の発展にはハンデがある。
農業と漁業と新潟の酒を経済の中心とする社会主義国となり、兵隊はやたらと我慢強いが、人々は憂さ晴らしの酒を飲んでは脳卒中でバタバタ倒れる、そんな国になっていたかもしれない*1。
最初の頃は計画経済もある程度はうまく行き、表日本と意地くらいは張り合えるかもしれない。
しかし、何十年と経てば、経済発展の差はいかんともしがたいだろう。
結局、裏日本人民共和国は立ちゆかなくなり、表側からの経済援助で何とかやっていく。そんなふうになったのではないか。
が、考えてみれば、これは今の裏日本のありようと、実はあまり変わらないのである。
おうよう、表日本! こんな自虐ネタ、書けまいよう!!
このコンプレックスはわたしの額に当てられた焼き印であり、財産でもある。
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「今日の嘘八百」
嘘二百五十五 筆者は裏日本の裏切り者として裏社会からの刺客に撃たれました。
*1:なぜ憂さ晴らしが必要か知りたければ、裏日本側のどんよりと暗い空の下で、ひと冬暮らしてみればよい。