古い日本の映画を見ると、時々、オープニングでドーンと「昭和○○年文化庁芸術祭参加作品」と謳った作品にぶつかる。今でも、テレビ番組で見かける。
わたしのように、鼻くそをほじりながら暮らしているような人間には、あんまり関係のない話である。「結構お金をかけている作品なのだろうなあ」、「重たい話なのだろうなあ」、「エッチな場面は期待できないのだろうなあ」などと、ちょっと残念に思ったりする。
文化庁のサイトを見ると、概要をこんなふうに紹介している。
芸術祭は、戦後の国民生活に再建の希望と勇気を与えることをねらいとして、昭和21年秋に第1回が開催されました。以後、我が国の秋を彩る芸術の祭典として定着しています。関東、関西それぞれで、演劇、音楽、舞踊、演芸の4部門の参加公演を募集するとともに、テレビ、ラジオ、レコードの3部門で参加作品を募集します。それぞれ、優れた成果をあげた公演・作品に対して、各部門の審査委員会の選考を経て、文部科学大臣から芸術祭大賞、芸術祭優秀賞、芸術祭新人賞及び芸術祭放送個人賞(賞状、トロフィー、賞金)が贈られます。
はあ。恐れ入りました。
まあ、しかし、こういう重々しいものをおちょくるのは、鼻くそホジホジ男の特権でもある。
手口は簡単だ。ひらがなを一文字くっつけるだけでいい。
「り」の字ひとつで、花柳社中が桜の枝をかかげて、踊りながら出てくるような騒ぎになるのだ(季節的には紅葉の枝かな)。
他にも、台無しにする手法はいくらもある。
「ちびっこ」を付ける、という手もあるが、ここは「わんぱく」で行ってみたい。
文化庁わんぱく芸術祭
わっはっは。ザマーミロ。文化庁には何の恨みもないけれど。
芸術祭の権威、認知度が今、どのくらいあるのかは知らない。
しかし、世の人に忘れられかけたら、役所のことだ。昨日も書いたように、親しみを持ってもらおうと、次のような挙に出るのではないか。
ぶんかちょう・げいじゅつさい
役所というところは、本当にやりかねないからオソロシイ。
「男の」をつけてみる。
文化庁男の芸術祭
そういうものなら、ぜひ見てみたい。
文化庁恋の芸術祭
なんていうのも、軽くていい。司会は、やはり、桂三枝と西川きよしであろうか。
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「今日の嘘八百」
嘘六百四十二 今日の文章で芸術祭に参加してみようと思う。