言い訳を考えてみる

 ここで、わたしはあえて和田氏のために、言い訳を考えてみようと思うのである。
 別に和田氏に肩入れする理由はない。単に、面白そうだからだ。


 和田氏はこう言ってみたら、どうか。
「私の作品は盗作ではないし、スギ氏の作品を模写したわけでもない。スギ氏の絵をモデルとして扱い、私の絵を描いたのだ」


 画家が肖像画を描くとき、人間をモデルにして、観察しながら描く。もちろん、モデルをそのまま絵に移し替えるわけではなく、画家の感じ方や考え方、技術、癖がキャンバスの上に注がれていく。
 それと同じように、自分はスギ氏の絵をモデルにして、「私の描く絵」として描いていったのだ、と。


 わかりにくいかな。
 例えば、これを読んでいらっしゃる方の目の前には、今、パソコンか携帯電話があるだろう。
 それをモデルにして絵を描けば、「パソコンの絵」、「携帯電話の絵」になる。パソコンや携帯電話という「実物」を「絵」にしてみたわけだ。


 では、パソコンや携帯電話の画面を絵にしてみたらどうか。「パソコンの画面の絵」、「携帯電話の画面の絵」になるだろう。


 ではさらに、アルベルト・スギ氏の絵という「実物」を「絵」にしてみたら――「アルベルト・スギ氏の絵の絵」になるはずだ。


 だから、和田氏は盗作疑惑を受けている絵に「ナイトクラブ」とか、「ダンス」なんていう題名をつけずに、「アルベルト・スギ氏の絵」というタイトルをつけておけばよかったのである。