昨日、脅迫状について書いてから思ったのだが、グリコ森永方式とでもいうのだろうか、あの新聞や雑誌の見出しを切り抜いて脅迫状に仕立てるのは、なかなか手間のいる作業だと思う。
まず指紋が残らないように手袋をはめる。髪の毛が落ちようもんなら血液型からDNAまでわかってしまうから、帽子をかぶるか、手ぬぐいを姐さんかぶりにする。念のため、マスクもする。
文字を用意するのも一苦労だ。
発行部数の少ない新聞(日刊木材新聞とか)や雑誌だと、そこから足がつきかねない。なるべくありきたりの素材を揃える必要がある。
探していた文字を見つけたら鋏で切り抜く。この鋏も、特別なものだと切り口から品番が特定され、入手ルートが絞られてしまう。左利きか、右利きか、なんていうのも、たぶん、バレる。
日本の鑑識は、そういう点に関して、相当にシツコイらしい。
糊を塗るときも、特別な糊はダメだ。もう、ガキから爺さん婆さんまで使うような普通の糊。しかも、塗り方に特徴を残してはいけない。実にいろいろと神経を使う。
で、紙(これも特別なものではないように気をつけなければならない)に切り抜いた文字を貼っていく。そうすると、ある文字が不足していることに気がつく。
「あ、『の』が足りない」
また新聞雑誌をひっくり返して(埃がたたないように気をつけながら)、「の」の字を見つけ、切り抜く。
「げ、『へ』も足りない」
その瞬間にブーとやっちゃったりして、「そっちのはいらんのだ」と自分ツッコミ入れてから、今のが何らかの化学物質を付着させなかったか、心配になる。
ようよう、全てを貼り終わり、できあがった手紙を眺める。最初は一仕事終えた充実感といくらかの自己愛のゆえに満足しているが、だんだんと見方が変わってくる。
「んー……なんか、バランスが悪いような……」
思い切って、その手紙は丸めて、屑籠に捨てる。それから、「あ」と気づいて、手紙を屑籠から出し、コンロで燃やす。思わぬ勢いで燃え上がり、焦る。煙が部屋に充満したので、慌てて換気扇を回し、その日の作業は中止する。
翌日、再び、手袋、帽子、姐さんかぶり、マスクで装備し、文字を探す。切り抜いて、貼る。やはり満足いかない。
「色みが足りないのかなあ」
文房具屋で色画用紙を買ってきて、貼ってみる。文字と混じると、どうも、美しくない。「一億円用意しろ」の上に色画用紙を細かく貼ってみたら、随分、きれいになった。
頭の中に、夏、潜伏先で見た花火が浮かんだ。
色画用紙をたくさん買ってきて、細かくちぎる。無心になって、貼っていく。時間が経つのも忘れる。文字通り、寝食を忘れて打ち込んだ。
今では、「長岡の花火」は、氏の代表作として高い評価を得ている。
「僕は刑務所に六年半も居るので刑務所があきてほかの仕事をやらうと思ってここから逃げていかうかと思っているのでへたに逃げると刑務所の人につかまってしまふので上手に逃げようと思って居ました」
氏の日記には、脱獄したきっかけを、そんなふうに書いてある。
「ぼくは脅迫している時絵を描くために脅迫し回っているのではなくきれいなコインやめずらしい物を見るのが好きで脅迫している貼絵は帰ってからゆっくり思い出して描くことができた」
氏の作品が心を打つのは、それが、彼の心の中に残っていた美しい何かを、美しいままにとどめておこうとしたものだからであろう。
なお、氏の全作品は、透かして見ると、新聞雑誌等から切り抜いた文字が貼ってある。この事実は、意外と知られていない。