私は富山で生まれ育った。
 住んでいたのは平野部だったが、年によってはかなり雪が積もった。


 雪が楽しかったのは雪合戦や雪だるまで遊んでいた小学生くらいまでで、中学に入ると煩わしいものとなった。どんよりと曇った空から降り続く雪は、気を重くする。


 中学校までは歩いて10分だったが、高校は歩いて30分。普段は自転車で通っていたが、雪が降るとそうもいかない。生徒の中では家が近い方だったが、それでも雪道をトボトボ歩くのはいい加減、嫌になった。
 朝早くに登校する用事があって、新雪の中に足をズボズボ入れなければならないときなど、泣きたくなったものだ。しかし、泣いたら涙がツララになるので我慢した。尊敬する人物は、植村直己である。
 それでも毎日高校へ行っていたのだから、私もなかなかのものである。


 ちなみに、「富山では、かんじきを履いて通学する。学校指定のメーカーがある」と東京の人に話すと、かなりの確率で信じる。んなわきゃないでしょ。


 クルマを出すために毎朝、除雪しなければならなかった。巨大なスコップのようなもので雪を掘り、川に流すのだ。


 よほど積もったときは、屋根から雪を下ろさなければならない。屋根にのぼって、スコップで雪を落としていくのだ。結構な重労働である。
 しかし、雪を落とさなければ家が潰れる恐れがあるから、仕方がない。
 「仕方がない」、「やらざるをえない」というのは、雪の多く降る地方に住む人々が共通で持っている感覚だと思う。


 今回の新潟中越地震で最もひどい被害にあった地域は、東京から行くと、山間部から平野部へと抜ける地域だと思う。
 最近は帰省するとき、新幹線を越後湯沢で乗り換えるが、以前は長岡まで行って、在来線に乗り換えていた。
 だから、何となく風景は覚えている。いかにも雪が多く降り積もりそうな土地だ。


 一見、地震で無事だったように見える家が危なそうである。柱や梁などに、外から見てもわからない傷みが出ているかもしれず、もしそうなら、ドカ雪が降ればあっけなく潰れてしまうだろう。


 あの地域は、雪が降るまであと一ヶ月ほどだろうか。道路も寸断されているようだし、家を診断して修復する時間はなさそうである。


 と、ここまで書いて新聞を読んだら、同じような話が載っていた。


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