一昨日、朝起きてみると、だいぶ雪が積もっていた。
雪の朝というのはいい。世界が変わって見える。
いろいろなものが隠れてしまうのもいい。ピンク色のお菓子の家のような、文句言いにいくわけにもいかないが、目にするとこっちが恥ずかしくなってしまうアホバカ家も、いくらかは埋もれてくれる。
しかし、雪がいいのは、せいぜい朝方くらいである。
一昨日は、家で泣きながら仕事しなければならなかったので、外は出歩かなかったが、それでも買い物に出かけると、歩きにくくてしょうがない。靴の中の指先が冷たくなるのも不快である。
わたしは雪のよく積もる地方都市で生まれ育った。どちらかというと、雪にはあまりいい印象を抱いていない。
小学校の頃はそうでもなかった。カンジキを履き、蓑笠をかぶって学校に通ったものである。嘘である。
車道を除雪した雪が歩道に積まれ、子どもの2倍くらいの高さの小山となって、通学路にずらっと並ぶ。その上を、友達と登頂しては下り、登頂しては下りして下校するのは楽しかった。
今となっては驚いてしまうが、わたしにも活力というものが備わっていた時代があったのだ。
しかし、中学、高校ともなると、雪の小山を登頂してワーイと喜んでいるわけにもいかず、通学が面倒になってくる。
高校は普段なら家から自転車で10分くらいのところだったが、雪が積もると歩いていかねばの娘で、40分、ひどいときだと50分くらいかかったときもあったかもしれない。実に邪魔くさい。
毎日がプチ八甲田山。「堅忍不抜」と心に唱えては、雪に足をとられて転んでいた。
これまた驚くべきことに、わたしにもガッツのあった時代があったのだ。
人間というのは、放っておくと、どんどんダメになっていくものですね。
もっとも、もはや生きてきた時間の半分以上を東京近辺で過ごしている。雪も、わたしにとっては珍しいものになった。
溶けかけた雪の上をクルマが通ると、半透明のみぞれに黒っぽい埃が混じった汚い物体となる。いくらかはシンパシーを覚えぬでもないが、やはり醜い。
昨日の朝は、ゴミを出しに行って、滑って転びそうになった。
やはり、雪は邪魔くさい。せいぜい、ちょっと降って、ウケたら、さっと溶けるのがいい。
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「今日の嘘八百」
嘘六百五十三 玉手箱 開けると乙姫 賭けに勝ち