有名な自由律俳句に、尾崎放哉のこの句がある。
咳をしてもひとり
二十代で初めてこの句を聞いたときは、驚いた。スゲー、と思った。今でも、スゲーと思っている。
何がスゲーのかは、よくわからない。
身も蓋もない言い方をすれば、孤独の表現ということなんだろう。
私自身は「咳をしてもひとり」という孤独の感覚に、共感するところもないではないこともないわけでもないのかなあ、と自分で書いていても、今、肯定・否定のどっちになったのかわからないが、えー、そんなことはどうでもいいのです。
なんだっけ。そうだ、共感だ。私は、「咳をしてもひとり」を己のこととして捉えて感動するわけではないような気がするかもしれない曖昧な日本の大江健三郎だったりなんかしたりしなかったりして。
もう、今日はムチャクチャだな。ついでにいえば、ご面相もムチャクチャだ。顔の調子が悪い、というやつである。
そろそろ呆れて読みやめる人も増えたろうから、ここらで普段の調子に戻したい。
二十代の人々の「おれってさー、○○な人間じゃん」みたいなワタクシ・バナシになってしまうけれども、ワタクシはひとりでいて苦になるタチではない。
「咳をしてもひとり」と、ある種の感慨にひたることはない。だから、この句のどこに感心しているのか、自分でもよくわからないのだ。
と、たったこれだけのことを書くのに、555文字も費やした。尾崎放哉は8文字で後世の人を唸らせたのに。
まあ、力不足の者は量にたよるしかない。その点では、私も、アイドル・グループも同じである。
しょうがないので、量で行くよ。
くしゃみしてもひとり
屁をしてもひとり
おしっこしてもひとり
汗かいてもひとり
ゲーしてもひとり
抜け毛してもひとり
うんこしてもひとり
まばたきしてもひとり
下痢してもひとり
便秘してもひとり
快便してもひとり
骨折してもひとり
痒くてもひとり
円形脱毛症になってもひとり
あくびしてもひとり
血まみれになってもひとり
しゃっくりしてもひとり
痔が出てもひとり
ゲップしてもひとり
なんだか、賑やかになってしまった。
やはり、数では「咳をしてもひとり」には勝てなかった。しょうがないので、忍術で切り抜けることにする。
咳をしたらふたり