菱形論

 世の中には物事を大雑把にふたつに分けて議論するクセのようなものがあって、たとえば、文系・理系なんて分け方がそうだ。

 いろいろな学問分野を見るともちろん多種多様であって、しかもひとつの学問分野の中でも人によってアプローチの仕方は随分と違っている。それを文系・理系と無理くりにふたつに分けて語るのは、余計なバイアスがかかる割にあまり実質的でないように思うのだが、どうだろう。

 たとえば、近代経済学は数学を多用するが、なぜか文系に入れられることが多い。進化論はあまり数学を使わないが、理系に入るようだ。文系・理系という分け方には害があっても、あまり利がないように思う。まあ、きちんとした研究者は文系・理系なんていう大雑把な捉え方はしていないのだろうけど。

 政治方面では右翼・左翼という分け方が一般的だが、おれはギワクのマナザシで見ている。血液型性格判断(統計的にはデタラメだそうである)でさえ、人を4タイプに分けるのに、いろいろな政治の主義主張をふたつ、あるいは中道を加えるとして、それでもたかだかみっつに分けていいものだろうか。

 一般には右翼 - 中道 - 左翼と一直線に並べて把握されるようだが、中道というのは右翼とも左翼とも随分と異なっており、むしろ、右翼と左翼が観念的という点でよく似ていたりする。戦前の日本の民族主義者は社会主義者からの転向組が多かったとも聞く。

 あるいは、個人主義(個人の自由の主義)は右翼だろうか、左翼だろうか。おそらく、どちらの性質にも入らないだろう。

 右翼、左翼という言い方を認めるとしても、実際には右翼 - 中道 - 左翼と直線で結ばれるものではなく、主義主張のバラツキは菱形(◇)に近いのではないかと思う。◇の左端を左翼、右端を右翼とするとして、どちらとも言えない主義主張は◇の中間部のように随分と厚みがある。豊かといってもよい。

 物事をふたつに分ける捉え方を二項対立と呼ぶ。おそらく、人間社会で最大の二項対立は男と女であるが、しからば、中間部は何か。オカマか。しかしこの方面の中間部もいろいろな主義主張、生態、好みがあるらしく、やはり全体としては菱形をなしているのではないか、とかように思うわけであります。

議会と建築空間

 先週、イギリスの庶民院(The House of Commons。下院)のムービーが、英語があまりわからなくても面白いと書いた。

 そのテレビショウ的な面白さはジョン・バーコウ議長の生き生きとした仕切りぶりによるところが大きいのだろう。EUではブレグジット騒ぎでイギリス庶民院の議会風景がテレビニュースなどに映る機会が増え、バーコウ議長の人気が高まっているらしい。ブレグジットが片付いたらバーコウ議長の庶民院が見られなくなってさみしくなる、というドイツ人の書き込みを何かで読んだことがある。実際、妙な言い方だが、YouTubeにあがっている「バーコウ議長もの」にはほとんどハズレがない。

youtu.be イギリス庶民院の活気は、バーコウ議長の生き生きとした司会(?)のせいもあるのだろうが、議院の仕組みによるところもまた大きいと思う。庶民院の議場は与党(向かって左側)と野党(右側)が対峙する形になっている。椅子はベンチ型で、見たところ、議員は自由に座っているようだ。日本の国会のような名札は見当たらない。ベンチ型なので、発言を求めたり、賛同を表明したりと、庶民院の議員は立ったり座ったり忙しい(バーコウ議長はそれを上手い具合にさばき、目に余る行動をした議員には時にユーモアをもって注意を与える)。

 建築空間は、意識するかしないかは別として、人の物の感じ方や考え方、行動に大きく影響を与える。

 たとえば、キリスト教の教会では奥の高いところに十字架やキリスト像が掲げられ、全てがキリストから見渡されているように感じる仕掛けになっている。神父や牧師は十字架あるいはキリスト像の前に立ち、キリストの権威を背景に話をする。日本のお寺の場合は、仏像は建物の奥の影の部分にぼうっと見えるようになっている。お参りする人は仏像と向き合い、坊さんも、仏像を背景にするのではなく、兄弟子のように参拝者とともに仏像に向き合う。参拝者は大きな意味で仏と師弟の関係であるように感じる。

 建築空間が政治の道具として機能する典型的な例が、ヒトラー時代の総統官邸だ。総統官邸には全長145メートルもの長いホールがあり、総統の執務室はその中央にあった。総統の執務室に向かってとぼとぼ歩く間に、人は自然と総統の地位の重さと高さを植え付けられるようになっている。

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総統官邸のホール。全長145m、天井までの高さ9m。

「玄関からレセプション・ホールまで長い道のりを歩けば、彼らはドイツ帝国の国力と壮大さを味わうことになるだろう」とヒトラーは言ったという(「巨大建築という欲望」、ディヤン・スジック著)。

 イギリスの庶民院与野党向かい合う議場の形式は世界の中でも割と特殊で、「イギリス型」と呼ぶそうだ。多くの国の国会議場は正面の演台と円弧状の議席から成り立っている(「大陸型」)。

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フランスの国民議会(下院)本会議場。

 

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ドイツ連邦議会の議場。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/90/United_States_House_of_Representatives_chamber.jpg

アメリカ合衆国下院本会議場。

 

 おそらく、大陸型の議場は演説を主に設計されているのだろう。与党野党の対決あるいは議論を主に設計されている(ように見える)イギリス型とは建築思想が違う。結果、議員の意識や行動も違ってくるだろうと思う。

 では、我が国の議場がどういう建築空間かというと:

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日本の衆議院本会議場。

 

 いわゆる大陸型である。議長席の上には天皇の御座所がある。フランスやアメリカと違って、議員席より一段高いところに大臣席がある。大臣席がある点ではドイツ連邦議会と同じだが、モダンで軽快な家具(簡素と言ってもいい)を使ったフラットな印象のドイツの議場と違って、いかにも古めかしく、威圧感を覚えさせる設計である。現在の国会議事堂は1920年大正9年)着工、1936年(昭和11年)の竣工。戦前の、天皇〜内閣〜承認機関もしくは賛助機関としての国会、という序列が建築空間に表現され、日々、その序列を再確認させているのかもしれない。

 この重苦しい議場の雰囲気と構成が国会議員の感じ方や考え方、行動に影響を与えているところも、案外、大きいのではないか。

イギリス庶民院のムービーが楽しい

 イギリスではEC離脱が3月31日に迫って大騒ぎらしい(いわゆるブレグジット)。メイ首相がECとまとめた合意案が庶民院(The House of Commons。日本では「下院」とも呼ばれるが、「庶民院」のほうが歴史が表れていておれは好きだ)で否決された。ECは再交渉などせん!とそっくり返り、メイ首相はそれでも離脱ギリギリまで粘ろうとしている。

 YouTube庶民院のムービーがたくさんあって、おれには何言ってんだかよくわからないが、その活気を見ているだけで楽しい。

youtu.be 向き合ったベンチ型の議席の間に座っている(時々立ち上がる)ダミ声の愛嬌あるおっさんがジョン・バーコウ庶民院議長だ。「Oooordeeeeeer!」(静粛に)とダミダミ言って、アンタが一番静粛にしとらんじゃないか、とツッコミたくなるんだが、原語は「Order」だから、秩序を守れ、という意味である。

 日本の国会の議長は質問者と回答者の名前を偉そうに読み上げるばかりという印象がある。あとは、議会が紛糾したとき、どうするかまわりとこそこそ相談しているイメージか。

 イギリスの庶民院のバーコウ議長(言語で議長はMr.Speaker)はまさに議会を「仕切って」いて、時にはテレビショウみたいである。

youtu.be

 ヤジは「Yeah」と「No」が入り混じり、羊の群れの鳴き声みたいに聞こえる。

参考:

youtu.be イギリスの庶民院では発言したいものが立ち上がり、議長が指名すれば自由に発言できるようだ。質問者があらかじめ質問を提出し、内閣側が官僚に徹夜で資料を整えさせて答える日本の国会とは、随分違う。

 まあ、バーコウ議長の場合、いささか脱線気味で、釈明に追われるときもあるようだが……。

youtu.be イギリス庶民院は面白い。英語がよくわからなくても面白い。オススメします。

日本語の特性 - 一人称、二人称の豊富さ

 日本語の特性のひとつに、一人称、二人称がたくさんあることが挙げられる。

 一人称の言葉を思いつくままに書くと:

私、僕、俺、おいら、あたい、小生、我輩、自分、わし、あっし、手前、やつがれ、朕、拙者

 まだまだあるだろう。

 二人称:

君、あなた、あんた、おぬし、てめえ、そなた、そち、貴君、貴様、自分(関西弁では一人称でも二人称でも使う)

 日本語学習者にとってはもしかすると日本語の一人称、二人称の多さは厄介なのかもしれない。しかし、慣れると、一人称、二人称を使い分けることで、立場や、自分/相手の捉え方など、いろいろなニュアンスを表現できる。

 同じ音でも文字面を変えると違うニュアンスになる。たとえば、「僕」は「ぼく」と書くか、「ボク」と書くかで、読む側の受け取る感覚が違う。

僕が馬鹿だった。

ぼくが馬鹿だった。

ボクが馬鹿だった。

「ボク」という表現は昭和の終わり頃の若者向け雑誌(ポパイやホットドッグプレスなど)が頻繁に使っていた印象がある。ちょっと気取ったような、カマトトぶったようなふうにおれは感じる。今の若い人は「ボク」という書き方をするのだろうか。

 「俺」も、「おれ」「オレ」でニュアンスが違う。

俺には関係ない。

おれには関係ない。

オレには関係ない。

「オレ」という表現には独特の強さがある。自我の強さ、世間への強がり、コートの襟を立てる風、とでもいうか。

 おれは個人的な文章ではもっぱら「おれ」を使っている。普段の話し言葉でもっぱら「ore」という発音を使っているのと(もちろん、TPOによるが)、「俺」「オレ」だと強すぎる感じがするからだ。

 逆に、一人称を書き分けることで、書いているときの気分やキャラクターも変えることができる。「オレ」と書くと、オレな心持ちになってくるのだ。

 一人称によって自己規定を微妙に変えられるというのはなかなか便利で面白い。興味ある人は、文章を書くとき、いろいろと変えてみると、日本語表現の楽しさを味わえると思う。

 

日本語文の特性 - 語順の自由さ

 前回、日本語は修飾する言葉が先に来るせいで複雑な構造の文章を書くのに向いていない、述語が最後にくるので文を読み終わらないと理解できないと書いた。

 しからば(鹿騾馬)、日本語は言語として劣っているのかというと、そう簡単には言えない。たとえば、英語と比べて便利な特徴もある。ひとつは述語以外の言葉の順番を割と自由にできることだ。

 英語は語順がかなり決まっている。「おれはおまえを愛している」と英語で書くときは、

I love You.

 とこの順番にするよりない。主語、述語、目的語という順番がひらの文では決まっているのだ。

 日本語の場合は、

おれはおまえを愛している。

おまえをおれは愛している。

 のふたつの書き方がある。上の文と下の文はニュアンスが少し違っていて、たいがいは先に来る言葉のほうが重く感じられる。このニュアンスの書き分けをするのが、日本語の文章を書く楽しみのひとつだとおれは思っている。さらには読点を使って、

おれは、おまえを愛している。

おまえを、おれは愛している。

 とすると、また違ったニュアンスが出てくる。

 もっとも、古来、日本ではこういうとき、

月がきれいだ。

 と表現すべきだという説もあり、言語表現はおそらく何語であれ、奥が深い。

 

 

日本語文の特性 - 修飾が先、述語が最後、の不便さ

 おれはコピーライターという仕事をしている。広告宣伝の仕事はそれほど多くなく、主に企業に頼まれて雑多な文章を書いている。現代の代書屋である。

 代書屋であるからして、文章に接したり、自分でひねくり出したりするのが飯のタネだ。飯のタネだから、日本語文の特性について考えることがままある。

 言語と別の言語には、翻訳しやすい/しにくい相性があると思う。もっとも、おれが操れるのは日本語だけで、英語がどうにかこうにか理解できる程度だから、いささかたよりない仮説ではあるが。

 はっきり言って、日本語と英語は相性が悪い。文の構造がまるで違うんだから、仕方がない。

 今、手近にある英語の本から文章を抜き出してみよう。

The second thing to understand is that the problem of insecurity cannot solved by spreading people out more thinly, trading the characteristics of cities for the characterisitics of suburbs.

(“The Death and Life of Great American Cities”, Jane Jacobs)

 イチかバチか訳してみよう。

ふたつ目に理解すべきあのは、不安の問題は、人々を外へと薄く引き伸ばして、都市の性格と郊外の性格をトレードしても解決されないことだ。

 この日本語文を一度でさっと理解できる人はなかなかいないのではないか。おれの訳の不味さのせいだけではない。英語の構造に沿って書かれた文章を、全然別の構造を持つ日本語文に置き換えるのにはムリがあるのだ。

 英語は、一般に、主要な単語が先に来て、それを別の言葉が修飾するという構造になっている。また、主語、述語が先に出てくる。文の中の重要な要素(主語、述語、主要な単語)が先に出てきて、修飾する言葉が後に来るから、文を読み進みながら理解しやすい。

 一方、日本語は修飾する言葉が先に来る。述語が最後に出てくる。長い文だと、一文まるまる読み終わるまで何を言いたいのか理解できないことが多い。長い、長い文を読んで、最後に「ということはない。」などと否定形でどんでん返しされ、内股を食らったような心持ちになることもある、ということはない、とは思わない。

 思うに、日本語の元ができた頃は文が短くて済んだのだろう。「強い敵が来る」「木に赤い実が成った」「あっちの海で大きな魚が釣れた」などというふうに。修飾部分が先に来たり、述語が最後に出てきたりしても大して問題なかったのだと思う。

 ところが、社会がややこしくなってきて、複雑な物事を言わなければいけなくなったとき、修飾部分が先に来る、述語が最後に来る、という日本語の構造はなかなか不便になってきた。もしかすると、日本語の語順を変える、という大実験をどこかの段階でできたのかもしれないが、それをやらずに来てしまった。

 まあ、ここまで来たらこのまま続けるしかないのかもしれない。しかしまあ、ややこしい内容を言わねばならない実用文については不便な言葉であるよ、日本語は。

方言の浸透と吉本

 もうお亡くなりになったが、アートディレクターの長友啓典さんが大阪の笑いについて語るのを聞いたことがある。長友さんは大阪の出身(1939年生まれ)だが、戦後の大阪は今のようにお笑い全盛ではなく、日常会話も「まずは笑い」というふうではなかったという。ただ、学校で吉本の漫才を聞く機会があって、「あれは吉本のお笑い百年計画だったんじゃないかなあ」とのことだった。

 おれが富山で三国一の美少年と騒がれていたガキの時分(1970年代)も、テレビに演芸番組はあったが、夜の番組では今のようにタレントの半分がお笑い芸人ということはなかった。お笑いが全国のテレビで広く認知されるようになったのは1980年の漫才ブームの頃からだと思う。

 それでも今のように東京の人間が日常会話として大阪弁もどきを口にすることはなかった。明石家さんまが何かで言っていたのだが、さんまが東京に出てきた頃、大阪弁は東京で珍しがられ、時には露骨に笑われたりもしたそうだ。おれが大学で東京に来たのは1980年代前半だが、大阪出身の友達の言葉(「やで」とか「やねん」とか)がしばしばからかわれていた。東京では方言全般を小馬鹿にする風潮があったが、大阪弁もそのひとつだった。

 そう振り返ってみると、今は話し言葉が随分豊かになったと思う。大阪弁は全国的に完全に市民権を得て、第二共通語に近いくらいである。博多華丸大吉らの活躍で博多弁、千鳥の活躍で岡山弁も知られるようになった。方言ならではのニュアンスがポジティブに捉えられるようになってきて、よいことだと思う。

 それぞれの方言にはそれぞれのニュアンスがあり、たとえてみれば、同じドレミをピアノで弾くのとトランペットで吹くのとギターで弾くのでは受け取るものが違うようなものだ。方言のニュアンスが伝わるうえでお笑いの影響は大きく、そう考えると、20世紀終わりから21世紀にかけて(平成にほぼ重なる)言語文化方面に吉本興業という一企業が果たした役割は、あまり意識されていないようだが、随分と大きい。