日本語の特性 - 一人称、二人称の豊富さ

 日本語の特性のひとつに、一人称、二人称がたくさんあることが挙げられる。

 一人称の言葉を思いつくままに書くと:

私、僕、俺、おいら、あたい、小生、我輩、自分、わし、あっし、手前、やつがれ、朕、拙者

 まだまだあるだろう。

 二人称:

君、あなた、あんた、おぬし、てめえ、そなた、そち、貴君、貴様、自分(関西弁では一人称でも二人称でも使う)

 日本語学習者にとってはもしかすると日本語の一人称、二人称の多さは厄介なのかもしれない。しかし、慣れると、一人称、二人称を使い分けることで、立場や、自分/相手の捉え方など、いろいろなニュアンスを表現できる。

 同じ音でも文字面を変えると違うニュアンスになる。たとえば、「僕」は「ぼく」と書くか、「ボク」と書くかで、読む側の受け取る感覚が違う。

僕が馬鹿だった。

ぼくが馬鹿だった。

ボクが馬鹿だった。

「ボク」という表現は昭和の終わり頃の若者向け雑誌(ポパイやホットドッグプレスなど)が頻繁に使っていた印象がある。ちょっと気取ったような、カマトトぶったようなふうにおれは感じる。今の若い人は「ボク」という書き方をするのだろうか。

 「俺」も、「おれ」「オレ」でニュアンスが違う。

俺には関係ない。

おれには関係ない。

オレには関係ない。

「オレ」という表現には独特の強さがある。自我の強さ、世間への強がり、コートの襟を立てる風、とでもいうか。

 おれは個人的な文章ではもっぱら「おれ」を使っている。普段の話し言葉でもっぱら「ore」という発音を使っているのと(もちろん、TPOによるが)、「俺」「オレ」だと強すぎる感じがするからだ。

 逆に、一人称を書き分けることで、書いているときの気分やキャラクターも変えることができる。「オレ」と書くと、オレな心持ちになってくるのだ。

 一人称によって自己規定を微妙に変えられるというのはなかなか便利で面白い。興味ある人は、文章を書くとき、いろいろと変えてみると、日本語表現の楽しさを味わえると思う。