「クール・ジャパン」という言葉を見ると、何か困ったような心持ちになる。その困ったような心持ちを分解してみると、おおよそ3つに分けられそうだ。客観的な話、他人の主観、おれの主観の3つである。
客観的な話としては、経済産業省が中心になっているクール・ジャパン戦略とかいうものへの疑問がある。日本が得意とするコンテンツ・ビジネスを海外に売る、ということらしいのだが、政府が乗り出す意味があるのだろうか? 商機があるのならば商社か代理店が動くだろうし、そのほうがよほどうまく商売するだろう。その機能を政府が肩代わりすることはない。おれはこういうことに政府が乗り出すとロクなことがないと思っている。もし経産省の役人が自分たちが動かなければうまくいかないと考えているのなら、思い上がりかうぬぼれではないか。コンテンツ・ビジネスの担い手は中小が多いから政府がとりまとめて、という考え方もあるようだが、もしそれでビジネスチャンスが生まれると考えるのなら、さっさと役人をやめて会社を作り、事業として取り組めばよいと思う。
コンテンツ・ビジネスを国家戦略にしている韓国をモデルにして、というような話も聞くが、政府の後押しがどの程度役に立っているのかはきちんと検証できているのだろうか。政府が取り組むということと、モノが売れるということは、別の話である。
A. 政府が動いた
B. モノが売れた
これが同時に起きると、一見、政府の力があったように見えるが、実はAがなくてもBは起きたかもしれない(あるいは、AがなければBはもっとうまくいったかもしれない)。
たとえば、韓国ドラマが日本のテレビでよく放送されるけれども、韓国政府の後押しがあったからというより、単にドラマの価格が安く、その割にはそこそこ見てもらえるからだろう。「利益(広告収入+DVDなどの販売)−仕入れ」が大きく、日本のテレビ局からすると、仕入れの大きい日本のドラマに比べ、利益率が高いということなのだろうと思う。
次に他人の主観の話なのだが、本当に日本はクールと思われているのだろうか? Googleで検索言語を英語にして「Japan, Cool」と検索してみても、表示されるのはもっぱら日本側の「Cool Japan」関連の記事ばかりである。それはそうだろう。海外で日本産の何かをカッコいいと思う人がいたとしても、それはあくまでその「何か」がカッコいいだけであって、日本自体をカッコいいと思っているわけではないだろう。
「世界で日本のアニメやマンガが受けている」といったような表現もよく見かける。日本産のアニメは海外でよく放送されているようだけれども、だからといって「クール」と呼んでいいのかはなはだ疑問である。ハンバーグが世界中の子ども達に人気だからといって、ハンバーグは「クール」だろうか? あるいは、もし海外で受け入れられることが「クール」なのなら、世界各地に中華料理屋があるんだから中華料理も「クール」と呼ぶべきではないか?
売れるなり、質的に高いなりするものがあったとしても、それはあくまでその作品の話なのであって、日本のコンテンツ全体、あるいは日本全体が優れていることにはならないと思う。イチローがやたらと安打を打つからといって、日本の野球選手がやたらと安打を打つわけではないし、またメジャーリーグのファンがイチローにばかり注目しているわけではないだろう(日本のニュースを見ると錯覚してしまいそうになるけど)。
最後におれの主観の話。まあ、悪口だ。吐き出したいだけである。
マンガはともかく(マンガは多様である)、おれは日本のアニメが苦手である。苦手なので自分から見ることはほとんどないのだが、それでもこの国に生きていると嫌でも目にしなければならないときがある。見ると、どこか子どもっぽさが抜けず、あざとくて客に媚びた演出やわざとらしいアテレコが多く、うんざりする。たとえば、オッパイである。日本のアニメのオッパイは想念か日本のアニメの伝統から生まれたとしか思えない決まりきった形をしている。何だか似通っていて、しかもイビツである。少なくともおれが目にした日本のアニメはそうした共通したクセを持っている(多様性をあまり感じない)。ああいうものが日本の育んだアニメ文化なのだとしたら、これからも嫌でも目にせざるを得ないだろうし、絶望的な気分になる。テヘ(←Booooo!)。
「クール・ジャパン」などと口にしている人たちは、本当にジャパンをクールだと感じているのだろうか? どこかの誰かが言っていることをなぞっているだけではないのか。