進化の戦略ってあるんだろうか

 土日は桜を見に、自転車であちこちを駆け回っていた。場所によって多少異なるけれども東京のソメイヨシノの花は今が全盛のようだ。
 ソメイヨシノは見事な花をつけるけれども、種子から育つことはない。今、大量に日本中に生えているソメイヨシノは接ぎ木によるものだという。
 花というのは本来は受粉のための器官であって、派手に秋波を送って虫を誘い込み、花粉を運んでもらうというのが役目である。女を花にたとえ、男を虫にたとえるのは、だから生物学的にもなかなかよい比喩だ。
 しかし、ソメイヨシノの花の場合は受粉の役に立っていない。では、花が子孫を残すうえで無駄かというとむしろ逆で、花の見事さに人間が惚れて、全国のあちこちソメイヨシノの接ぎ木を行った(行っている)。通常の植物の花の役目とは違うけれども、己をばらまくといううえでは花が間接的に役に立っているわけである。
 これを、「ソメイヨシノの進化の戦略は、見事な花をつけて、人を感動させ、接ぎ木をさせることである」と言うこともできるし、その手の言い回しはよく見かけるけれども、ハテ、本当に進化の戦略なんてものがあるのだろうか。

「戦略」というと、誰かが計画したものに聞こえる。もちろん、神様が出てきてソメイヨシノの進化を計画した、と言えればことは簡単なのだが、それはもうオハナシの世界である。信じる信じない以外になく、誰もが納得できるような実証はまずできないだろう。神様を置いておくと、あとはソメイヨシノが「見事な花を咲かせて満場をうならせよう、こいつはいいと接ぎ木をさせよう」と考えるかどうかだが、まあ、どうもガキの時分から植物を見ている経験では、そんな思考をするふうではなさそうである。
 どうやら、たまたま見事な花を咲かせる桜があって、それに感心した人々が接ぎ木に接ぎ木を重ねて、今のソメイヨシノの隆盛に至った、と、そういうことのようである。おそらくそこには進化的な計画も戦略もない。うまくいった事例を後で見ると、あたかもそこに戦略があったかのように見えるということなのだろう。「進化の戦略」という言葉は、何らかの意思が働いているように見えるけれども、原因と結果を取り違えているのではないか。誤解を招きやすい比喩である。
 あるいは、うまくいった事業家の成功理由もいろいろ語られる。しかし、後ではあれこれもっともらしい理由を付けられるけれども、案外と「たまたまうまくいった」ことも多いんじゃなかろうか。これは話が飛躍した。