イルカ、クジラにまつわる欺瞞

 わたしは、気に入らないものを見るとブーイングをする癖があって、映画なんかを見ながら反射的にブーとやってしまうことがある。例えば、近頃はディズニーのロゴや宮崎駿のアニメなんかに運悪く出くわすと、ブーと出る。

 イルカやクジラを妙に持ち上げる映像なんかを見ても、ついブーと出る。なんでそう特別扱いするのか? と、そこんところが気に入らないのだ。まあ、もっぱらわたしがへそ曲がりだからなんだろうが、泥棒にも三分の理、はちょっと違うか、ま、理由がないでもないと思っている。

 イルカ、クジラ自身が気にくわないわけではなく、それを変に地球だの自然だのと結びつけて持ち上げる態度が気にくわない。イルカ、クジラが持ち上げられるのは、知性が高いとされ、しかも海というロマンチックなところに住んでいるからだろう(あれが床下に住んでたらどうなのか)。おまけに人間にそれほど害を与えない(例えば、スピロヘータを撒き散らす元凶だったら、ロマンチックに持ち上げられるかしらん?)。

 しかし、ですよ。イルカ、クジラの知性というのは、人間の知性の型に近いというか、比較的人間にも類推しやすい知性のありようを持っている、ということだと思う。つまり、人間に近いから素晴らしいとされているわけであり、それこそ人間のエゴ、人間中心主義だろう。人間中心主義を離れて、地球、自然のありようを捉え直そうという考え方とは逆だと思う。

 豚には豚の、オオアリクイにはオオアリクイの、オニヒトデにはオニヒトデの知性のありようというものがあるのであって、それを人間に理解しがたいからといって軽視するのは、まさに人間の傲慢ではないかと思う。

 地球は素晴らしい、自然は素晴らしいと言うなら、なぜフナムシやハマダラカ、セアカゴケグモを持ち上げないのか?――というのは、やっぱ、へそ曲がりに見えますよね。

 でも、イルカやクジラを知性的だと妙に持ち上げるのは、動物番組で動物の親子に妙なアテレコをつけて、「だから自然は素晴らしい!」とやらかすのに似ていると思うんだけどな。

 わたしは人間中心主義が気に入っている。ハマダラカには近寄らないでほしいし、フナムシにはわたしと関係のないところで勝手にやっていていただきたい。ただ、人間中心主義はいかんと言いながら、人間中心主義的な見方で地球だの自然だのを捉える欺瞞は許し難く思っている。イルカやクジラが好きなら好きで「私は好きだ」と表現すればいいことで、余計なものをくっつけるな、と思う。