○○である(数)の理由

 最近、ブログなどで「○○である(数)の理由」という類のタイトルをよく見かける。

小沢一郎が居座る5つの理由

日本野球がWBCで勝てた7つの理由

それでも日本の金融がアメリカの金融に勝てない13の理由

 とか、まあ、これらは今、テキトーに書いたのだが、そんなタイトルだ。

 タイトルだけ表示されたとき割によくクリックしてもらえるということで、流行り始めたのだろう。読む側からすると、要点の並んだかいつまんだ内容を予感し、お得感があるのだと思う(人生、いろいろ忙しいしね)。また、こういうタイトルだと、書く側は要点を整理する書き方をせざるを得ない。内容にもよるが、だらだら書き連ねて何を言いたいかよくわからない文章になってしまうより、お互い幸せなのかもしれない。

 まあ、今ではこの種のタイトルが増えすぎて、少なくともわたしには食傷の感がある。少々、あざとくも感じられる。そんなにクリックしてもらいたいのか! と思うのだが、えーと、クリックしてもらいたいのですよね。別に悪くはありません。ハイ。

 しかし、例えば、次のようなラブレターをもらって、うれしいだろうか。

それでも私があなたを愛する5つの理由

 あれ、何かうれしい気がしてきたな。案外とお洒落かも。中高生諸君、こんな手練手管で攻めてみるのはどうだろう?