活弁

 昔の話を読んでいて、たまに、へええ、と思う話に出くわすことがある。


 またしても殿山泰司「三文役者あなあきい伝」からの引用になってしまい、申し訳ないのだが(ミナサンに申し訳ないのではなく、殿山のオッチャンに申し訳ないのだ)、無声映画時代の活弁の話。


活動写真の弁士だから活弁無声映画時代の王者であり、ヘタな映画スターよりも高い給料を取っていた活弁もいたんだから、華やかな商売でもあった。チラチラするスクリーンにあわせて、馬賊の一隊は険しい山の中をとか、海賊の船は嵐の海をとか、説明するわけだけど、そんなものは画面を見てれば分かることであるし、役者がパクパクとやってるのにあわせて、愛してますとか、愛してませんとか、セリフをいうんだけど、これも、〈愛してます〉〈愛してません〉と、フィルムの中に字幕が入るんだから、いらないといえば、いらないようなもんであるし、奇妙な存在といえば、奇妙な存在であったな。諸外国には活弁はなかったようである。文明社会の人たちは必要としなかったわけだ。


 諸外国に活弁がなかったというのは意外だった。今まで考えたことがなかった。


 映画「ニュー・シネマ・パラダイス」ではどうだったろう。あれは、トーキー以後の話だったかな。


 諸外国――といっても、主に欧米のことだが――に活弁がいなかったとして、観客は音の出ない画面をただ見ていたのか。それで1時間なり1時間半なり、もったのだろうか。


しかしガキのころのおれたちにとっては、この日本のダレかの発明による、発明ではなくて創意というのか、活弁の映画説明はおもろかった。胸をおどらしたもんだ。


 この感覚は何となくわかる。上手い活弁は、映画に生命力を与えたんだろう。映画作品そのものではなく、活弁で客を呼んだという話も、何かで読んだことがある。


 もし活弁が日本オリジナルの存在だとすると、それはやはり、義太夫、講談、浪花節といった、一人で語る芸の伝統が日本にあったからなのだろうか。


 わたしが知らないだけかもしれないが、欧米の芸能で、一人でストーリーを語るものというのは記憶にない。ボードヴィリアンやスタンダップ・コメディアンは一人芸だが、ストーリーを語るのとは、ちょっと違う。


 当時の観客は、義太夫、講談、浪花節などの語りの感覚世界に馴れていて、無声映画の沈黙に耐えられなかったのかもしれない。いや、知らんけど。


 ああ、でも、欧米にも、映画の伴奏用の楽団はいたんだよな。弁士だけがいなかったのか。奇妙なように思うが、向こうからすると、映画を見ながらあれこれ喋りまくるやつのいる日本のほうがよほど奇異だったかもしれない。


三文役者あなあきい伝〈PART1〉 (ちくま文庫)

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「今日の嘘八百」


嘘七百九十九 ア、途中で百番飛ばしてました!!