殿山菌

三文役者あなあきい伝〈PART1〉 (ちくま文庫)

三文役者あなあきい伝〈PART1〉 (ちくま文庫)

三文役者あなあきい伝〈PART2〉 (ちくま文庫)

三文役者あなあきい伝〈PART2〉 (ちくま文庫)


 昨日、戯れに殿山泰司節をマネたついでに、「三文役者あなあきい伝」を読み出したら、止まらなくなってしまった。
 そして、ページを繰る度にウーン!! と唸った。


 殿山菌の感染力は強力で、あっという間におれは冒され、それで今、こんな文章を書いているわけだヒヒヒヒ。


 もっとも、おれはあんな凄い文章を書けるわけではない。見てきたもののレベルが違いすぎる。
 おれが殿山文体をマネたところで、何かの歌にイカレてカラオケでガナッたら、まわりはてんでシラケていた、という状況に陥るだけである。


 殿山泰司は1989年に亡くなった俳優で、顔を見れば、ああ、あの人か、と思う人も多いだろう。


「三文役者あなあきい伝」は自伝的エッセイと呼べばいいのだろうか。
 銀座育ちのモダンボーイが役者を志し、戦争に巻き込まれ、戦後のドタバタをくぐり抜け、数々の映画に出演し、数々の監督と出会い、合間合間に女を買い、多くの別れを体験し、現在に至る(執筆当時の)までを、ビート感溢れる文章で綴っている。


 照れ屋で愛嬌があり、多くの人に愛されたらしいが、殿山泰司の奥で渦巻いているのは、強烈な怒りと悲しみとやるせなさだ。


 幼い頃に生母と別れ、銀座のおでん屋の息子として育った殿山泰司は、店が忙しいせいで、ほとんど放っぱらかし。飯を自分で勝手に作って食うような子供時代を送ったという。


 小学校卒業のころには、おれはもう玉子焼をやめていた。三ツ年下の弟がやっていたからだ。コイツがまた玉子焼が大好き。焼き方を教えてやった。何だか突然のように弟が登場してきて、ほんまに恐縮。ごめんください。弟とは、おれのダチである判コ屋や弁当屋とも一緒に、三十間堀の縁日にも行ったし、二人で銭湯や活動写真にも行った。天にも地にも二人っきりの兄弟だったもんな。この弟は昭和二十年に死んだんだ。じつはですね、前回のINFANCYのときに、弟を出さなかったのは、弟のことは書くのをやめようと考えていたのです。弟のことを思うと、いつも悲しみと憤りが、おれの胸の中を嵐の如くゴウゴウと吹きまくり、つらくてツラクテやりきれないのです。弟は敗戦直前の七月、ビルマインパールの泥の中で戦死してしまった。日本帝国の糞野郎!! 弟の戦死を知ってからあとのおれのテーマは、日本帝国の糞野郎だ。戦争で肉親を亡くしたのは、何もおれだけではない。そんなことは分かってるよ。そんなことは関係ねえ。おれは憎むんだ。憎むのは自由だ。天皇階下といわれればウンもスンもなかった、あの暗黒の時代。字イがちがうがな、それは一階二階のカイや、天皇ヘイ下のヘイは、陛と書くのやでえ。どうでもええわい、ヤマザキ天皇を撃て!! どこかできいたことあんな。つまりやね、弟のことをいろいろと考えると、おれは異常に興奮するんだ。あッいけねえ、鉛筆が折れてしもうたがな。どないしてくれんねん、日本帝国のウンコ野郎!!


 痛憤が、ドライブ感とともに、ガツン!! とぶつかってくる。


 殿山泰司は昭和11年(1936年)に新劇の新築地劇団に入り、その後、映画の世界に移って、主に脇役として活躍した。役者として多くの人と出会い、多くの人と別れた。


毎日のようにソデでみていても、ガンさんの舞台は、毎日のように爽快さというものが胸の中を吹き抜けていくようであった。爽快さだけでは足りねえな。何といえばいいのだ。役者の芸の素晴らしさというものは、クチでは説明できないもんな。ああもどかしい!! ああくやしい!! そしてガンさんは心のやさしい人であった。おれが大家族でいるのを知って、いつか東宝映画の仕事を持ってきてくれたことがある。(中略)
 ガンさんは畜生、涙が出る、あの広島原爆で、遠い世界へ行ってしまったのだ。畜生!! 思い出すと果てしなく涙が出る。


 もっとも、こんなシリアスでハードボイルドなことばかり書いているわけではなくて、むしろ紙数にするとそれらは少し。だからこそ、ガツン!! と来るともいえる。


 時折挟まる、女郎買いの話。東京の遊郭には、一人の女郎が一晩に何人も客を取る「マワシ」という制度があったが――。


 考えてみると、この〈マワシ〉というのはおかしな制度だね。浜松以東の遊郭にのみあったというんだけど、そういえば名古屋の中村遊郭にはマワシはなかった。新劇をやってたころ、旅公演で大阪へもよく行ったが、その度に飛田や松島とふらつき、よくもまア臆面もなく新劇なんかやってたなオマエ、マワシのないのに感激し、多々良純と手を取り合って号泣したこともあるし、ひとりでむせび泣いたこともある。その涙が畳をべとべとに濡らし、「あんたアこんなとこでオシッコしたらあかんのよ」と、浪花女郎に叱られたこともある。


 そうして、あちこちに散りばめられた、シビれる言葉の数々。


 二十歳頃のこと、当時、同棲していた新潟出身の女の父親を、東京観光に連れていハメに陥るが――。


 こんな田舎ッぺえのオヤジと三日間も行動を共にするのかと思うと、ケツから涙の出るほどユウウツであったけど、定職のない身の上であったし、女が「親孝行しなさいよッ!!」とキイキイいうもんだから、市電とバスと地下鉄で、三日間ぐるぐると東京中をまわってやった。(中略)だけど浅草六区を歩いてるときに、オヤジがいつも離れて歩いてるのに気がつき、どうしたんだ、ときいたら、わしらみたいな田舎者と並んで歩くのは、あんたがいやがると思うて、と、いわれたときには、おれはホロッとしてそしてヤラレタ!! と思った。チカチカとおれとオヤジの心に、友情のエレキが交流してしまったのだ。


 おれの心にも、エレキが走ってしまったぜ、オッチャン!!



殿山泰司ダンディーだ。


 スケベエなことも書いているので、必ずしも良家の婦女子にはオススメしないが(もっとも、不快感はない――はず)、シビれるような読書体験をしたい人は、ぜひ。

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「今日の嘘八百」


嘘七百九十七 「四丁目の西日」という救われない映画を企画中。