「問題な人」という類の言い回しがあって、国語教科書的には問題な表現なんだろうと思う。
なぜ問題かというと、「状態を表さない名詞+な+(名詞)」という形だからで、これが「形容動詞の連体形+(名詞)」(例えば、「愚かな人」)なら、全然問題ない。
もっとも、形容動詞を品詞と認めない説もあるんだそうで(名詞に助動詞がついたものとするらしい)、あまり深入りすると、泥沼にはまりそうである。
逃げる、誤魔化す、やり過ごすを人生の基本コンセプトとしているわたしとしては、とっとと引き返したい。
「問題な人」の類の言い回しは、比較的近年登場した表現だと思う。
わたしの記憶をさかのぼると、二十代の頃――今から十数年前に「カニな人」という表現を使った覚えがある(しょうもないことを覚えているものである)。その頃にはすでに登場していたのだろう。
カニを食い出すと、「う〜、あ〜、もう幸せ〜」とあられもなく狂乱状態に陥る人がいて、チョットドウシタノダロウカコノ人ハ、と思う。ヤバい薬でもやっているが如くになる。
そういう人を指して「カニな人」と呼んだのだが、まあ、自分でも違和感はある。
違和感はあるが、その違和感をイガイガした引っかかりとして利用しているのであって、すんなり耳に入る表現では面白くも何ともない。
なぜ「馬鹿な人」には違和感がないが「カニな人」には違和感があるかというと、「馬鹿」が状態を表しているのに対し、「カニ」は普通、状態を表さないからだろう。
しかし、逆に言うと、「カニな人」という言い回しは、「馬鹿な人」「静かな人」「味な人」などの“状態”の感覚を援用して、「カニ」を状態と見立てているともいえる。
この、「○○な人」という表現、「○○」のところに名詞を入れると、いろいろと面白い感覚を生み出せる。
「自分な人」、「イルカな人」、「じゃないですかな人」――「自分な人」なら、自分、自分と何事も自分が先に立つ状態になってしまっている人、「イルカな人」なら、イルカとなると、大人の態度というものをうっちゃってLove! となってしまう状態の人、「じゃないですかな人」なら、「〜じゃないですか」と相手に同意を求めてかからずにいられなくなっている状態の人、という具合だ。
皆さんも、な人でいろいろ遊んでみてください。
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「今日の嘘八百」
嘘七百九十五 ターザンが肉の味を覚えてしまい、密林の動物たちは戦々恐々としている。