例によって唐突な話題で申し訳ないが、新聞記事の見出しに「(笑)」をつけるだけで、なぜか冷笑的になってしまうようである。
試しに、昨日、今日の新聞でやってみよう。
自衛隊のアフガニスタン派遣についての記事。
ヤーイ、ザマーミロ、という姿勢が濃厚に出てくるのだ。
あるいは、旧・長銀の粉飾決算についての裁判で、検察側が負けたというニュース。
検察側の失態・無能をせせら笑う態度になる。「だから、言ったろ」という類の、少々イヤラシイ態度にも見える。
「(笑)」に類する表現はいろいろあって、「(汗)」にすると、また違ったニュアンスの記事に見えてくるのも興味深い。
この新聞は与党寄りであるらしい。
イチローだって、「(笑)」にはかなわない。
挑戦を、あるいは挑戦する姿勢をせせら笑っている。人を引きずり下ろすと、相対的に自分を高みに持っていけるということなのだろう(ただし、自分比だが)。
こういう手法は、我々の集合的無意識を刺激する相手に向けられたとき、より効果を発揮するようだ。
例えば、このヒト。
コウイウコトヲ笑ッテハイケマセン、という態度もあるだろう。しかし、では憐憫の情を見せるとどうなるかというと、こうなってしまうのだ。
「(笑)」とせせら笑うのと、「(涙)」で形だけ同情してみせるのと、どっちが失礼か、わたしにはちょっと判断がつかないのである。
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「今日の嘘八百」
嘘七百九十三 朝青龍に「また怪我ですか」と尋ねたら、うっかり「今回は本当だよ」と答えてしまったそうである。