腕組みする人々

 相変わらず唐突な話題で申し訳ないが、腕組みというのは、一般には物を考えるときのポーズと考えられている。あれはちょっと違うんではないか。


 いやまあ、物を考えるときも腕組みするが、大元は自分の殻を作るということのように思う。


 有名な待ち合わせ場所みたいなところに行って、人を観察してみるとわかるが、初めてのデートか何かで相手を待って、ちょっと緊張している若い連中。ああいうのは腕組みしていることが多い。


 腕組みして殻を作ることで、所在なげな不安から自分を守ろうとしているのだろう。
 わたしはいささか意地が悪いので、そういう人を見ると、「おお、緊張しちょるねえ。初デートだもんねえ」などと思う。


 ナニ、そういうわたしだって、人と話していて、ふと自分が腕組みしているのに気づき、ほどくことが多いのだが。


 考え事をするときに腕組みするというのも、あれはいったん自分の殻を作って、その中で集中して考えてみる、ということなんではないか。


 相手に気を許していないときも、思わず知らず腕組みしてしまうことが多い。


 逆に、腕組みしている相手には、どこか話しづらい。目に見えない殻、バリアーを感じるのだろう。
“体ハ許シテモ、心ハ許シマセンワヨ”――というのは、えーと、かなり違うが、まあ、何かその種のメッセージを受け取る。


 講演でも、芝居でも、あるいは授業でもいいが、舞台や教壇の側をツブすなんてのは簡単で、着席している全員で腕組みすればよい。
 出てきた相手はのけぞるだろう。教育実習の学生なんかだと、泣き出すかもしれない。


 今の世の中、特に東京近辺では、人にあまり気を許さない、腕組み的気分が横溢としている気がする。まあ、各人の領分をなるべく侵さないようにしている、ということでもあるんですがね。


 お互い、気を張って、疲れるところもある。
 かといって、全員で両手を上げている、というのも、どうかと思うが。

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「今日の嘘八百」


嘘七百五十三 財政逼迫のあおりを受けて、次回は実験棟「しんぼう」を打ち上げる。