嫁姑連鎖

 同年代の結婚している女性の話を聞くと、やはり、嫁姑の問題というのはいろいろややこしいらしい。


 今は昔と違って核家族化し、舅姑夫婦とは別居しているというケースが多いが、それでも何やかにやと気を使う。
 わたしと同年代というと、40歳くらいである。そろそろ引き取るの引き取らないの、向こうの家に移るの移らないのという話が出てくる頃だろう。


 中には、「絶対に同じ墓に入りたくない」とのたもう人もいて、そういう話をするときの爛々とした眼を見ると、思わずこっちが謝ってしまいそうになる。


 死んだ後どうなるかなぞわかるわけがないし、逝けばわかるさ、なのであるが、墓の中でまで嫁姑関係が続くと想像すると、いたたまれない心持ちになるのであろう。


 日本では、「家に入る」、「嫁入り」という言葉を使う。
 例えば、稲本喜則という男と結婚した(気の毒な)女性は、生まれ育った家から稲本家に移る、と考えるのが伝統的な捉え方だ。


 墓というのは個人のものではなく、家のものという考え方も根強いから、そうすると、先祖代々の墓に嫁も入るべし、ということに相成る。


 もし仮に、墓の中に魂があるとしたら、嫁姑関係というのはどうなるのだろう。


 嫁が亡くなって、空々寂々とした場所で気がついてみると、姑がそこにいる。
「フン。夫より先に死によって」などと、早速、嫌味を言われる。


 よく見ると、向こうのほうが若い。姑は50代で亡くなって、自分は80まで生きたから、20年以上の年の差がある。


 こういう場合、嫁姑の関係を取るべきなのか、それとも、長幼の序を取るべきなのか、なかなか難しいように思う。
 嫁姑の力関係を取ると、ハタから見た場合、50代の女性が80歳の女性にエラソーに嫌味たらたら、という図式になる。


 ――掃除のやり方が雑だとか、気がきかないとか、ブツブツ言われてムカムカしていると、奥から誰か出てくる。


「○○さん(姑の名)、またそんなとこでサボってるんですか」


 姑の姑、つまり、夫の祖母だ。これが嫁、すなわち、自分の姑に嫌味を言っているわけである。


 とまた、さらに奥のほうから人が出てきて、これが姑の姑の姑。姑の姑に「今の若い人は……」などと嘆息している。ここらになると、明治の人で、日露戦争に出陣する兵隊さんに旗を振ったというから、だいぶ古い。


 と思ったら、さらに奥から、今度は自由民権運動川上音二郎オッペケペーを見たことがあるとか、天保年間の生まれとか、振袖火事ではえらい目に会いましたとか、そもそもここらの新田を開いたのはワシらだとか、どっと姑n(ただし、nは正の整数)が出てきて、それぞれの嫁を辛い目に合わせながら、それぞれの姑に泣かされて、あるいは妙に遠慮し合ったりして、合従連衡、いろいろに組み合わさっては、いがみ合う。


 では、その頃、男性陣、つまり、夫連中にして舅n(ただし、nは正の整数)が何をしているかというと、間に挟まってオロオロしたり、話が聞こえていないふうを装ったりして、まあ、こういう話になると、しょせん男というのはてんで役に立たないのであります。

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘七百四十六 輪廻転生を確率論的に捉えると、ほとんどの人は来世で雑菌に生まれ変わるのだそうです。