稲本喜則、科学技術政策を大いに語る

 タイトルで大言壮語をしておきながら、例によってちゃんとした知識も、思考力も、ついでにやる気もない。いきなり腑抜けた言い訳だが、諦めていただきたい。


 原則論だけれども、科学技術のうち、国が直接お金を出して研究を助成する分野というのは、企業がやりたがらない分野か、企業だけに任せておくと弊害が大きくなりそうな分野、あるいは防衛のような国の専門事業分野であるべきなのだろう。


 企業は、商売上のうまみの見込まれる研究にはお金を投じる。国としてはよほど問題がない限り、勝手にやらせておけばよい、と、そういうことなのだと思う。


 そうすると、国は、すぐには儲けに結びつかない研究に重点を置くべき、とこうなる(かなり話を単純化してます)。


 しかし、すぐには儲けに結びつかない研究なら何でも助成すべきかというと、そんなことはない。
 例えば、イナモトヨシノリという馬鹿の生態についての基礎研究に助成すべきかというと、まあ、誰だってやめとくべきだ、と判断できる。たとえ解明されたところで、将来的にほとんど何の利益にも結びつかないからである。


 同じ伝で、月や惑星の探査、あれは巨額の費用がかかるようだけれども、どの程度の効果があるのだろうか。
 わたしは宇宙にあんまり興味がないせいか、お金を使う意味がよくわからないのだ。


 いや、まあ、月を間近で撮影したNHKの誇らしげな映像なんかを見ると、2秒ほど「へえ」と思うが、すぐに、で、何なんだ、となる。興味がわかないんだから、仕方がない。


 何なのだろう、あの探査というのは。資源開発の可能性とか、そういうことなのか。
 あるいは、「宇宙って、神秘的!」というロマンチックな娯楽、言い換えれば、「面白さ」にお金を費やすということなのか。


 宇宙の成り立ちとか、太陽系の成り立ちとかを知りたい、という気持ちもわからないではないけれども、そのために巨額な費用を使うのは、どうなのか。
 わたし自身は、わたしが収めているカスのような税金の分だけ、反対だ。地べたを這いずっていても、たまに見上げる月は十分に美しい。


 今はもう自分ではやらなくなってしまったけれども、競馬の馬券を買うとき(競輪の馬券てのはないが)、複数の馬券を買う方法と、一点買いする方法がある。


 複数の馬券を買うと当たる確率は上がるが、当たっても、ハズレ馬券に費やしたお金が多いので、利益は少なくなる。
 逆に一点買いはなかなか当たらないけれども、当たったときの儲けは多い。
 たぶん、投資にも同じことが言えるはずだ。


 科学技術の研究への投資も、見込みのだいぶありそうな分野には多く、見込みは少ないけれども大アナ、大バケする可能性があるものにも一応、つっこんでおく、というのが王道なのだと思う。


 しかし、一点買い、一点勝負のスリル、というのも、なかなか捨てがたいと思うのだ。


 わたしのお勧めの科学技術政策一点買いは「光合成」だ。あれはすごいよー。地球史上最大の傑作。


 何たって、日の光と二酸化炭素と水と、ほんの少しの他の物質があれば、酸素とエネルギーを蓄えた炭水化物に変換できる。これを自分でコントロールできるようになれば、地球温暖化なんて鼻クソみたいなものだ。ガンガン光合成すれば、どんどん寒くなる。ンなことはないか。


 まあ、地球温暖化の鼻クソ云々は冗談だが、植物がそこらじゅうで当たり前にやっていることなのだ。再現する道筋は必ずあるはずだ。オオイヌノフグリにできて人間にできないことはあるまい、というのはちと傲慢か。


 どうも世間一般の光合成への注目が少なすぎるように思う。
 たぶん、光合成を人工的に再現するには、何かブレイクスルーが必要なのだろう。それがないので、まだ世間一般には注目されていない。


 しかしね、逆に言うと、光合成のブレイクスルーを手にすれば、おそらく日本はウハウハだ。CO2の問題も、エネルギー問題も解決。世界はひれ伏すよ、たぶん。


 どうもだんだん視点が下品かつ話が乱暴になってきて、ドクター中松化してきたが、白状すると、わたしは昔から光合成ファンなのである。サインをもらいたいくらいだ。


 月のデコボコや火星の殺風景な風景よりも、光合成として植物の中で起きていることのほうがよほど優雅だと感じる。
 植物が光合成をできるようになり、複雑化していった過程に思いを馳せると、宇宙の成り立ちよりドラマチックでロマンチックじゃないかと思う(音楽と格闘技ではどっちが上か、と問うのと同じくらい、無益な比較ですが)。


 ま、つまりは自分の好き嫌いの話をしてるわけなんですけどね。


 しかし、大儲けしようと思うなら、流行を追ってちゃダメよ。流行を作らなきゃ。


 でもって、日本の科学技術政策を光合成への一点勝負にして、もし「いやー、なーんにもわかりませんでしたー」、ポリポリ、なんてことになったらどうするかというと、しょうがないから世界の片隅で細々と暮らしていくのである。幸いなことに、位置的には昔から場末の土地だ。


 諸氏の反論を待つ。たぶん、すぐに謝ります。

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「今日の嘘八百」


嘘六百一 明日は、みどりの窓口の窓口とみどりのおばさんの顔はなぜ緑色をしていないかについて考察してみたい。