さて、昨日、ちょっとした発見をした。
わたしのホームページには、「稲本喜則の座卓から」というタイトルを掲げているけれども、実際、わたしは座卓で文章を書いている。
昨日、座椅子から立ち上がろうとして、「よいしょ」と声を発しているのに気がついた。
考えてみれば不思議なもので、わたしは自分で「よいしょ」と言おうと思ったわけでもなければ、人からそう声を出せと言われたわけでもない。自然に出ていた。
なぜにかような言葉が出るのか。
見るもの、聞くものから無意識のうちに学んだ、とも考えられるが、それじゃあ、なぜ若いうちは「よいしょ」と声が出ないのか。
あるいは、なぜ「よいしょ」であって、「しょよい」でも「うらすたどげすかでけでん」でもないのか。
どうもよくわからぬ。
和英辞典で「よいしょ」を引いてみた。
わたしの持っている中くらいの厚みの辞典には、力を入れるときの「よいしょ」はあったが、立ち上がるときの軽い「よいしょ」はなかった。
英米のジジイは「よいしょ」と言わないのかね。
ともあれ、体がだんだんジジイになってくると、「よいしょ」と勢いでもつけなければ、立ち上がりにくい、というのが妥当な線だろう。
若い頃はパワーが余っているから、「よいしょ」なんて言わなくたっていいのである。
もっとも、わたしはやる気とパワーを母親の胎内に忘れてきてしまったので、生まれたときは、へりに手をかけ、「はあ、どっこらしょ」と言いながら出てきたそうである。
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「今日の嘘八百」
嘘三百四十八 研究社が研究を打ち切るらしい。