不惑

 四十歳、不惑の年であるのに、惑ってばかりである。


 もっとも、食糧事情によるものか、教育・社会事情によるものか、現代の年齢は昔の1.5掛けだ、という説もある(悔し紛れもあるのだろうが)。
 なるほど、昔の元服は十代前半から半ばだが、今は成人式が二十歳。江戸時代の武家や商家では、四十歳過ぎれば隠居、というケースが多かったようだが(うらやましい)、今の企業の定年退職は六十歳前後である。


 ということは、惑わなくなるには、あと二十年も生きねばならぬらしい。面倒くさい話である。
 ン? そうじゃなくて、自分で惑わなくなるようにしなきゃいかんのか。ま、いいヤ……。


 ただ、自分で年をとったという実感はあって、首を横に曲げて、筋を引っ張るだけで、痛いような、気持ちいいような感覚を味わえる。


 いやね、セーショーネンのミナサンよ。「けっ、ジジイが」と思うかもしらんが、時間が一方向にしか流れない以上、アナタガタもいずれはそうなるのよ。ザマーミロ。
 人が自分と同じレベルまで落ちてくるのをヨロコぶという、卑しい人間ならではの感じ方である。地獄の亡者が、新入りを迎えるような心持ちだ。