容色の変化

 若い女優や女性タレントなんかで、出始めの頃はさほどきれいでもなかったのが、しばらく経つと、急に美しく見えてくることがある。あれは何なのだろうか。


 メスで切った張った、というのは置いとくと、ひとつには、年齢というのもあるのだろう。
 女性は、年頃になると、急にきれいになることがある。


「あれ、この子、誰? あそこの角んところの――女の子? へええ、女の子。はああ、気の毒にねえ」


 と言っていたのが、娘さんと呼ばれる年頃になると、


「あれ。この娘(こ)が、あそこの角んところの女の子。へええ。いやー、きれいになったねえ」


 パッと花開くように美しくなるわけである。


 ただ、惜しむらくは、この花の時期が短い。しばらく経つと、また「はああ、気の毒にねえ」に戻ってしまう――というのは、古今亭志ん朝のギャグである。わたしが言い出したことではないので、文句があるときは向こうのほうへ持っていっていただきたい。


 女優やタレントの場合は、だんだん売れてくるにつれ、腕のいいメイクさんやスタイリストさんが付くようになる、ということもあるかもしれない。
 生地はそのまんまでも、それらのスタッフの手によって「化ける」わけである。


 だから、化けの皮を剥がしたら、元の生地に戻ってしまう。
 男からすると、あれやこれやと手を使い、いいところまで持ってきて、最後に生地の顔を見て「しまった!」。


   素の顔を見せたからには逃しゃせぬ


 まるで物の怪である。


 ――などと素早く川柳に仕立てつつ、この話にあまり長居すると身の危険を感じるので、逃げ出すことにする。


 もうひとつ、女は見られることによって美しくなっていく、という一種の伝説もある。


 本当かどうかはよくわからない。
 見られている、という意識が高まることによって、化粧やヘアメイク、ファッション、身のこなしが変わっていく、ということは、まあ、あるだろう。


 そうではなくて、生地なりの顔、体型が見られることによって美しくなる、なんてことは、ハテ、あるのだろうか。
 まあ、メイクだ、スタイリストだ、などという、わかりやすい理由よりもロマンチックで面白くはあるけれども。


 ホルモンの分泌がどう、とか、そういう話なのだろうか。ケーシー高峰先生、そこんとこ、どうなんでしょう?

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「今日の嘘八百」


嘘五百八十五 時折、「見返らないと美人」という方もいますね。