イスト的

 わたしはニヒリストであり、アナーキストであり、ついでにちょっとだけアクティヴィストでもある。今、証拠をお目にかける。


 ニヒリストというのは、別に長い楊枝をくわえて、「フッ」などとせせら笑いする人間のことではない。
 この世を虚無で塗りつぶそうとする人間、それがニヒリストだ。


 参ったか。


 誰も参らぬようである。


 手口は簡単だ。
 この世は文章であふれているわけだが、そこここに「無意味に」という言葉を差し挟むだけでよい。あっという間に世界は虚ろになる。


 例えば、パスカルのかの有名な言葉はこうなる。


人間は無意味に考える葦である。


 フッ。


 ガリレオも無意味だ。


それでも地球は無意味に動く。


 フッ。


 司馬遼太郎も無意味だ。


街道を無意味にゆく


 フッ。


 実際、この「無意味に」にかなうものはまずない。世の広告コピーのほとんどは、「無意味に」を挟まれた途端、腰砕けだ。


 何を虚無で覆ったっていいのだが、とりあえず、今朝の新聞の広告でやってみせよう。


 ノートパソコンの広告で「大容量1GBメモリ搭載のビジネスノート。見やすいワイド液晶で業務効率アップ!」という、やたらとアメリカンな態度のものがあった。


大容量1GBメモリ無意味に搭載のビジネスノート。見やすいワイド液晶で無意味に業務効率アップ!


 フッ。無意味だぜ。


 次にアナーキストとしてのわたしであるが、これは政治方面の文章に「無駄に」をちりばめればよい。


 同じく、今朝の新聞記事でやってみせる。


米政府主催で27、28日にワシントンで無駄に開かれる温室効果ガスの主要排出国会議に高村外相が無駄に出席し、安倍前首相が無駄に打ち出した国際構想「無駄に美しい星50」を福田新内閣でも無駄に踏襲する方針を無駄に表明することが分かった。


 ああ、無駄、無駄。


 最後にちょっとだけアクティヴィストのわたしだが、これはとにかく「無闇に」をバラまけばよい。


人間は無闇に考える葦である。


それでも地球は無闇に動く。


街道を無闇にゆく


 フッ。膝カックンの喜びだぜ。

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「今日の嘘八百」


嘘五百四十八 パンドラの箱の底には、最後に“希望”が無意味に残っていました。