くだらないことを悟るときがあるもんで、今朝、ふと、「ああ、『ヨイショ』って、相手を“持ち上げる”っていう洒落かあ」と気がついた。
ンなこたあ当たり前じゃんよう、という方は呆れ返るんだろうが、いやね、自分で発見してちょっと感動したのよ。思わず、「ユーレカ!(そうか、わかったぞ!)」と叫んで、全裸で町中を走り出しそうなくらいだった。
ヨイショといえば、有名なこんな言葉がある。
される身になってヨイショは丁寧に。
ヨイショはされる側の気持ちになってみて丁寧にするものですヨ、自分の勝手な都合でヨイショを相手に押しつけてはいけませんヨ、という、ヨイショの名人、古今亭志ん駒師匠からのありたがーいお言葉だ。
この、真面目なような、それでいてそこはかとなく漂う、バカバカしい感じ、伝わるかしら。
コレ、新入社員の研修で教えたらどうだろう。
学校を出て、いよいよ新社会人。
まだ会社や仕事というものがよくわかっていなくて、どこか不安な気持ちでいる新入社員達を教室に集める。
講師「えー、みなさん、おはようございます。社会人の心得として、まず私から最初に申し上げたいのは(黒板に書く)、『される身になってヨイショは丁寧に』。ハイ、みなさんご一緒に!」
新入社員達「される身になってヨイショは丁寧に!」
新入社員達、強烈なカルチャーショックを受けるに違いない。
「いやあ、みなさん、お上手。ホントに新人さんなんですか?」なんて、講師から早速、ヨイショされたりして。
この言葉、わたしは誤解していた。
「される身になってヨイショは丁寧に」。
自分がヨイショされる身分にまで出世してみると、ヨイショされる側の気持ちがよーくわかる。気持ちよくしてくれるヨイショとぞんざいなヨイショの違いは歴然だ。そうなってみると、自分も、今までテキトーにやっていたヨイショを丁寧にやるようになる。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」みたいな意味だと思っていたのだ。
なかなか世の中の深いところを突いていると思うんだけどねえ。誤解だったけど。
なお、ヨイショのことを、老人ホームではヨッコラショ、相撲部屋では相手が重いもんだからドッコラセと言うんだそうだ。
追記(2007年7月2日):「される身になってヨイショは丁寧に」は実は古今亭志ん朝の作だそうだ。それを「若大将、それはそうですね」と志ん駒師匠が膝を叩いて感心して広めたんだそうな(「ヨイショ志ん駒一代」、古今亭志ん駒著、うなぎ書房、ISBN:4901174118)。膝を叩いて感心してみせるだけでなく、世に広めてしまうってところが、まさに達人だね、ヨイショの。
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「今日の嘘八百」
嘘四百七十二 ロジャー・ダルトリー、ピート・タウンゼント、ジョン・エントウィッスル、キース・ムーンの4人がバンドを組むことになった。ライブをやると、すぐに息切れしたので、バンド名を「フー」とつけた。