チャンバラ

 テレビ時代劇では、たいてい、最後に主人公が悪役一党と大立ち回りを演じることになっている。
 主人公が悪を成敗して視聴者がスカッとする、という単純なパターンを、毎週、各局、延々と続けてきたわけだ(最近の時代劇は見ていないので知らないが)。


「敵方にも家族はあろうに。それに、主君の命で、剣の達人に立ち向かうのはむしろ、忠義ではないか」というのはよくある話柄だ。


 主人公は毎週、十把一絡げに侍を叩っ斬っているわけだが、不思議とその子ども達が主人公を仇とつけねらう、という話を聞いたことがない。


「む。何やつ」
「父の仇っ」
「仇とな」
「我は『第十二話 頑固親父の目に涙』で四番目か五番目、もしかしたら七番目あたりに斬られた山本作左右衛門が一子、助丸。貴様に父を斬られ、士道不覚悟により家禄は没収。見事、仇討ちに成功したらば、旧に復するとの命を受け、巡礼姿に身をやつして全国を経(へ)巡り、貴様を探していたのだ。いざ、尋常に勝負、勝負っ!」
「ふふっ。小僧が生意気な。返り討ちにしてくれるわ」


 こんな話は、わたしの知る限り、ない。


 そこいらの問題を解決するための「峰打ちじゃ、安心いたせ」というセリフもないことはないのだが、パターンとしては少ない。


 ま、ンなことを言い出すと、斬られた人間が血も出さなければ、着物すら切れていない、というのも不思議なのだが。


 あの大立ち回り、たいていは主人公側の人数が悪役側より少ない。
 まあ、それはそうで、主人公側が四、五十人いて、ひとりの悪役をよってたかって嬲(なぶ)り殺しにした、というのでは、天が許しても視聴者が許さないだろう。


 でまあ、これまた時代劇のお約束にあえてつっこみを入れるわけなのだが、例えば、善玉がひとりで、悪役側が十人いたとする。


 なぜ、悪役側はひとりずつ主人公に斬りかかっていくのか。
 どうして、主人公を丸く取り囲み、いっせいに刀で突かないのか。


悪役A「せーの」
悪役全員「えいっ!」
主人公「アイタタタ」


 何か、ダチョウ倶楽部あたりに、そんなネタがあったような気もするが。


 悪役一党にも、案外に鎌倉武士以来の、「正々堂々の勝負」の規範が残っているのかもしれない。
 ンなことはない。

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「今日の嘘八百」


嘘四百六十八 旗本退屈男は、実は慢性的財政難に悩む幕閣より密命を受け、お家お取りつぶしの口実を作っていた。