テレビのニュースショー(ニュースではなく、ニュース“ショー”である)で、大きな事件があると、よく街頭インタビューというのが行われる。
経済方面なら丸の内や大手町のサラリーマン、政治や社会問題ならどこかの駅前でオバチャンや初老のオッサンなんかをつかまえることが多い。
たまには、五島列島あたりに出向いて、株価の下落について道行く人に訊いてみたっていいと思うのだが、決してそういうところに出かけはしないのだ。
あの街頭インタビュー、何か意味があるのか、と思う。
もちろん、「市井の声」を紹介する、という形なのはわかる。
しかし、紹介したって、せいぜい5、6人が限度だろう。5、6人を「市井の声」にしてしまうのも乱暴な話だ。ビデオの編集の際に、テレビ局側が取捨選択しているだろうし。
あるいは、ああいうのは「市井の声」というより、彩りなのかもしれない。ニュース映像やアナウンサーの顔ばかりでは飽きてしまうので。
一時、街頭インタビューにやたらと同じ人が出ている、ということが話題になった。ありゃあヤラセじゃないか、という疑惑だったのだが、わたしは違うと思う。
たぶん、「やたらと出歩いている人」か、「普遍的に存在する人」なのである。
後者は、ああいう顔の人が、実はそこらへんにたくさんいる、という考えだ。普段は行き交う他人の顔なんて覚えていないから、気づかないだけである。
二十年以上前に実はクローン技術は完成していた、とか、異星人が地球人になりすますために拉致したのがあの風貌の人だった、とか、仮説はいろいろにふくらますことができる。
まあ、コトの真偽はともかく、テレビの本質はヤラセとシキリである、というスルドい指摘もあるから、そんなに騒ぎ立てることもないと思う。
信用しなければいいだけの話である。
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嘘四百五十七 ちなみにインタビューアーもあの顔だったそうです。