立場が人を決める

「es」という映画があって、これはなかなかにオソロしい。


 心理学の実験で、被験者が集められる。ごく普通の人達で、刑務所の刑務官グループと囚人グループに分けられる。被験者達は、刑務所を模した試験場に隔離され、ロール・プレイングの形で、刑務官役は刑務官として、囚人役は囚人として暮らす。
 そうすると、最初は、何となくお互い照れくさがったり、にこやかにしゃべったりしているのだが、だんだんと刑務官は刑務官らしく、囚人は囚人らしく振る舞うようになっていって――この先は書かない。


 アメリカで昔、本当に行われた実験を元にしているという。現実の実験のほうは、結果があまりに悲惨だったので、他の学者による追試験は行われていない。
 だから、その実験で起きたことがたまたまだったのか、それとも必然的なことだったのかはわからないままだ。


 ま、しかし、置かれた立場に合うように人間は行動する、ということはいかにもありそうだ。


 例えば、部長になれば部長らしくふるまうし、先生になれば先生らしくふるまう。最初はぎこちなくて、自分でも「しっくりこないなあ」などと感じていても、毎日を過ごしているうちに、それっぽくなっていく――ことも、ままあるだろう。


 あ、部長に見合った仕事をするかとか、先生としてきちんと子供を指導できるかとか、それはまた別よ。成果というのは、能力とか、そのときの状況とか、運とかもからむから。


 確かな「自分」というものがあって、我々はそれに基づいて行動している、という考え方はあるだろう。しかし、本当にそうなのかどうかは、よくわからない。案外、自分のたまたま置かれたポジションに従って、自動的に行動している場合も多いんじゃないか。


 わたしには、一度、やってみたいと思っている実験がある。


 アメリカの軍隊で、教官が新兵達を訓練する、というのがあるでしょう。
 新兵には「イエス、サー、イエス」か「ノー、サー、ノー」しか返事が許されない。教官が新兵に、口臭を吹きつけるぐらい顔を近づけ、野卑で理不尽な質問を浴びせかける、という例のアレだ。


「おまえには故郷に女がいるか!」
「……」
「おまえには故郷に女がいるのかっ!」
「イエス、サー、イエス
「その女は今、男と(ピー)しているか!」
「……」
「その女は今、男と(ピー)しているのかっ!」
「ノー、サー、ノー」
「おまえは今、その女と(ピー)したいと思っているか!」
「ノー、サー、ノー」
「おまえには本当に(ピー)が付いているのか!」
「イエス、サー、イエス!」
「おまえはおれの(ピー)を(ピー)したいと思っているか!!」
「ノー、サー、ノー!!」
「おまえはおれの(ピー)を(ピー)だと思うか!!!」
「イエス、サー、イエス!!!」
「おまえは(ピー)か!!!!」
「ノー、サー、ノー!!!!」


 これを、会社でやるとどうなるだろうか。


 部長が部下を集めて(全員、軍服と階級章を着用する)、部下に口臭を吹きつけるぐらい顔を近づけ、野卑で理不尽な質問を浴びせかける。あるいは、部下が部長を集めて、部長に口臭を吹きつけるぐらい顔を近づけ、野卑で理不尽な質問を浴びせかける。


 何日かやったら、社内はどうなるのだろう。ぜひ見てみたい。


 なお、上記の「(ピー)」のところで本当は何と言っているかというと、「ピー」である。

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「今日の嘘八百」


嘘四百五十二 明智光秀が本能寺の織田信長を襲った。火が上がるのを遠目に見て、京の人々は「本能寺が変」とつぶやいた。