名人伝・続

 昨日も書いた名人の話だが、ウケるものにはいくつかのパターンがあるように思う。


 昨日の、


「やっ!」
「ハ。出直して参ります」


 というタイプだが、剣豪伝にこんなのがある。


 誰だったか忘れたが、有名な剣豪が大名の加藤清正に剣術を指南した。
 剣術では、何度戦っても剣豪が勝つ。
 そこで、加藤清正が鎧兜をまとって槍を手にすると、そのあまりの威圧感に、剣豪は近寄れなかった。


「いや、さすがは戦国の槍働きで国を得た方。我々のような棒振りとは格が違いまする」と剣豪が恐れ入った、というんだけれども、これ、たぶん、剣豪のヨイショだろう。
 加藤清正が鎧兜まで身に着けて、ある意味、背水の陣で臨んでいるのに、剣豪のほうが勝ってしまっては、洒落にならない。


 この手の話では、昨日の神楽のおばあさんもそうだが、技芸そのものもさることながら、その人の立ち居振る舞い、威に気圧されるところも大きいようだ。


 だいぶ昔の話だが、知り合いのデザイナーが写真スタジオに行ったら、待合室のソファに長嶋茂雄が座っていた。あまりのオーラに、半径3m以内に近づけず、しょうがないので、ずっと立っていたそうである。


 名人の開眼話、というのもよくある。


 剣術のほうでは、神社や山にこもって行をすると、百日目くらいで夢枕に神様が立つ、と決まっている。でもって、秘術を神様から伝授されて、ナントカ流というのを創始するのだ。
 やっぱり、百日目を迎えると、「そろそろ今日あたりかな?」なんて、剣豪もワクワクするのだろうか。


  今日かしらん 剣豪の行 百日目


 などと素早く川柳にしつつ、こういう人では神様もちょっと夢枕に立ちにくかろう。


 落語だと「浜野矩随」が開眼話だ。
 父親が彫金の名工で、その死後、息子の矩随が跡を継いだが、どうしようもない下手っぴい。しかし、母の信心と犠牲のおかげで開眼し、父親以上の名人になる、という噺だ。
 元々は講釈ネタだったらしい。落語で、道徳を説くようなものは、講釈から来たものが多いようだ。


「淀五郎」も、歌舞伎のほうの一種の開眼話だ。
 若き役者の淀五郎が、忠臣蔵の塩冶判官(浅野内匠頭)の役に抜擢されて、張り切って切腹する。本来は大星由良之助(大石内蔵助)が主君のもとに駆け寄って愁嘆する名シーン。しかし、由良之助を演ずる座長の市川團蔵が「なんて下手くそな切腹だ」と、駆け寄ってこない。
 淀五郎は何がいけないのだ、と苦しみ、いっそ、舞台で團蔵を叩っ斬って、自分も本当に腹を斬ろうかとまで思い悩むが――とまあ、演技の機微を扱った、よくできた噺だ。


 これらの開眼話、主人公が一度は一心不乱、物狂いの状態にまで陥る、というのが共通したパターンのようだ。
 まあ、確かに、鼻クソほじっているうちに、なーんとなく開眼した、というのでは説得力がない。巫女の神がかり、なんていうのもそうだが、物狂いというのは、人間が変身するプロセスに共通することなのかもしれない。


 普通の人に身をやつしているが、実は大名人であった、というパターンもある。


「三井の大黒」、「ねずみ」は左甚五郎が主人公、「抜け雀」は絵描きの名人親子の噺。


 こういう噺が生まれる素地というのは何なのだろう。


 水戸黄門みたいに、実はこの人はすごい人なのであった、という意外性がウケるのだろうか。
 それとも、天下の名人、物凄い人が地位や名利を気にしない風来坊である、という点がウケるのか(布袋や、寒山・拾得の話に通じるかもしれない)。


 あるいは、「今は逼塞しているが、おれは実は大した人間なのだぞ」と思いたい人間の欲目なり、夢なり、自尊心なりが遠回しに効いているのかもしれない。


 左甚五郎といえば、彫ったものが命を持って動き出す、ということに決まっている。
 ただ、落語のほうではしばしばそれがネタにされる。


 その最高傑作はその名も「甚五郎」という噺だが、艶笑噺だし、オチが全てのような噺なので、ここでは書かない。興味がある人はCDでも探して聴いてください。志ん生が「鈴振り」と一緒にやってます。ひっくりかえるよ、ホント。

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「今日の嘘八百」


嘘四百四十八 一を聞いて十を知ったが、十間違っていました。