ジャズピアニストの山下洋輔と邦楽囃子方でパーカッショニストの仙波清彦の対談を読んでいたら、こんな一節があった。
歌舞伎の囃子方の人が、お神楽の家元に習いにいく――。
仙波 (略)僕らの先輩がお稽古に行ったら、おばあさまが出てきて、「すみません。今息子は仕事で出ています。私がかわりに稽古をつけさせていただきます」と。もうその時点でびびったそうです。大拍子という、よく神楽殿でやっているかん高いものがあって、「大拍子をやっていらっしゃるんですね。ではお教えしましょう」と言って、パンと一発打ったら、「どうもありがとうございます。失礼します」と言って、その先輩は帰ってきちゃった(笑)。おばあさまの出す一発の音にものすごく説得力があって、これはかなわない、もう少し勉強して出直して来ようと。
(「音楽(秘)講座」、山下洋輔、茂木大輔、仙波清彦、徳丸吉彦著、新潮社、ISBN:4103437049)
いいなあ。
こういう名人伝の面白さって、何なのだろう。我々、凡人(えーと、読んでいらっしゃる方の中に名人がいらしたら、すみません)にはうかがいしれない、高い境地、深い境地をかいま見る面白さだろうか。
「やっ!」
「ハ。出直して参ります」
何だかわかんないが、こういう名人伝の型というのはある。
面白いと感じるからには、「やっ!」のほうはともかく、少なくとも「ハ。出直して参ります」という感じ方について、何かの記憶がベースにあるのだろう。
昔、ブルースのB. B. キングのライブに行ったことがある。
前座の演奏が終わって、B. B.が出てきて、「♪Well〜」と一声放っただけで、大げさでなく、観客全員のけぞった。そのくらい、すごい声だった。
わたしなんぞ、あんまりすごいんで爆笑してしまったくらいである。
凡人で、特に何か技芸をしているわけでなくとも、その手の体験の記憶がどこかに残っている。それで、こういう、わかったようなわからないような名人伝を、面白く感じるのではないか。
わたしの夢は、何も書かないでも読んだ人が思わず出直してしまうブログを書ける境地に至ることだ。
「あ。つまんね」と、読んだ人が思わず立ち去ってしまうブログなら、いくらでも書いてんだけどねえ。
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「今日の嘘八百」
嘘四百四十七 九九の名人というのがいて、「いんいちがいち」とひと声発しただけで、全員謝ってしまうのだそうだ。