小野小町も小野妹子の子孫なのだそうだ。小野篁の孫という説もあって、もしそうなら小野道風とはイトコか兄弟姉妹ということになる。
もっとも、小野道風のほうはともかく、小野小町の系譜、生涯はよくわからないようだ。
言うまでもなく(なら、言うな)、小野小町は絶世の美人である。
穴がなかったという説もあるが、後世の冗談が残ったか、当時、フラレた男の悔し紛れのタワゴトだろう。
年とってからのこの歌が有名だ。
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に
「眺めているうちに雨で桜の花も色あせてしまった。あたしも色恋に思い煩っているうちに、時が経って、むなしく容色が衰えてしまった」とまあ、そんな内容である。
あえてテーマを語るなら、ふと鏡を見たときの「ババアの発見」であろうか。
すでにババアとはいえ、自分を花にたとえるのはどうなのか、とも思うのだが、小町クラスになると、変に謙遜するものではないのかもしれない。
この歌、小町はどういう心持ちで詠んだのだろうか。
「哀しい、哀しい、ああ、あの美しかったあたしが」という気持ちだったのか。
本当のところは、もちろん、小町に訊いてみなければわからないが、単に自分の容色の衰えを嘆いているだけだとしたら、つまらない歌だと思う。
多少の哀れは混じるとしても、「ああ、しょうがないわねえ。そういうものよねえ」と割に突き放して自分を見ていたんではないか。そっちの解釈のほうが広がりがあって、わたしは好きだ。
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嘘四百三十一 ようやく柳の葉にとりついた蛙は、なぜ自分がそんなことをしたのか覚えていなかったという。