甚兵衛さん〜その3

 わたしは甚兵衛さんに憧れていて、ああいう人間になれたらなあ、と思うのだが、一方でとても無理だ、ということもわかっている。
 欲得ずくなところがわたしにはあるし、何より、優越感を味わいたいという卑しい根性がある。


 甚兵衛さんのような人間には、努力してなれるものではないだろう。努力した時点で、もうダメだ。


「神様みたいな人」という言い方があるが、たぶん、神様みたいな人はスーパーな能力を持っているわけでもなく、超人的な努力をしたわけでもないのだと思う。


 おそらく、からかわれても、甚兵衛さんのように、寺で鳳凰が下りてくるのを、ぼーっと待っている。
 そういうところが、欲のある人からすると神様みたいであり、“楽”という福をもたらしてくれるのだろう。


 そんなこんなで、「頑張った人が報われる社会」とか、「再チャレンジ」なんてフレーズを聞くと、薄っぺらい言葉だなあ、と感じる。
 そうがっつくな、せっつくな、とも思う。甚兵衛さんもチャレンジさせられるんだろうか――政治の話を持ち出すと、話が急に痩せこけてしまうな。


 まあ、がっついたり、せっついたりしなければ、うまく回らない世の中なのだろうけれども。


 今の世の中、甚兵衛さんみたいな人はどういうふうに暮らしているのだろうか。だいたい、甚兵衛さんみたいな人、いるのか。


 たぶん、いるんだろうな。がっついていると、見過ごしてしまうだけで。

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「今日の嘘八百」


嘘三百六十四 世の中には、経済よりももっと大切なことがある。わたしの暮らしだ。


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