老婆心について考えているうちに、昔のSFに出てくるような、体にピタッと張りつくスーツに考えが至った。
のっけからそんなこと言われても困るだろう。わたしも困っている。
ままよ(Oh, mother!)、思い返してみよう。
老婆心とは、「余計なお世話」のことだ。
「老婆心ながら忠告するが」なんていう言い回しでよく使う。「余計なお世話かもしれないが、忠告しておく」というような意味だ。
老婆って余計なお世話を焼くかねえ、とつらつら考えてみたのだが、老婆とあまり付き合いがないのでよくわからない。
まあ、なーんとなくのイメージだが、みかんを食えだの、皮を剥いてやろうだの、みかん食っておけば風邪をひかん、だのと言い出しそうではある。老婆はみかん方面に執着するものなのかもしれない。
しかし――と、ここでちょっとヤなことが閃いた。
「老婆心」という表現は、性差を助長する、と槍玉に挙げられる可能性はないか?
なぜ「老爺心」も並べないのか、いや「老人心」と言い換えるべきである、今じゃ看護婦は看護師だしスチュワーデスはキャビンアテンダントだ、いっそ雛人形は全員オカマにすべきである、と、ツリ目になって言い立てられると、わたしはタジタジになってしまいそうである。