封入と開放

 俳句というのは一種の形式美で、短い言葉にいろんなものを封じ込める。
 一般に名句とされるものは、形式に収まることで、端正なたたずまいの中に滋味、風情をぎゅっと凝縮する。
「あ」の字には、それらを開放してしまう効果があるようだ。


 わたしの好きな句に、蕪村の「さみだれや大河を前に家二軒」というのがある。一枚の俳画を見ている気分になる(実際の景色を見るふうではないところが興味深い)。


 これに、「あ」の字に張り付いてもらう。


さみだれやあ大河を前に家二軒


 いきなり、消防署のレスキュー隊が駆けつけるような事態と化すのである。


 山頭火に「音はしぐれか」という驚くべき句がある。「あ」の字が付くと、別の意味で驚くべき結果が得られる。


音はしぐれかあ


 いやね、思わぬ発見をして感動したのはわかるのですが。


 先ほど、今では「あ」の字が「い」の字を従えている、と書いた。しかし、「い」の字のほうも、ただ負けてはいない。
 小林一茶の有名な句。


痩蛙まけるな一茶これにありい


 見得切ってどうすんだ。


 最後は再び芭蕉で締めましょう。「あ」でも「い」でもないですが。


一家に遊女も寢たりして萩と月


 谷岡ヤスジになったりして。

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「今日の嘘八百」


嘘三百九 年をとると駄洒落を言いがちになるのは、脳内の結線が単純化するからである。


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