間の悪さを埋める

 あのテロップ、手口としては安易だが、考えようによっては奥が深い。


 例えば、落語のくすぐりの部分をテロップで強調したら、噺家は怒るだろう。見ているわたしだって、怒る。
「お前なんぞに、ここが面白いんですよ、なんて教えられたかない」と思う(お前が誰なんだか知らないが)。


 漫才やコントに入れられても、演者は怒るだろう。
 しかし、ここらはそろそろ危険で、漫才はまだしばらく大丈夫だろうが、コントにはいい加減入れられてしまう頃合いではないか。あくまで霊感だが、そんなふうに感じる。


 あのテロップが入ると、画面がにぎやかに見える。強調された発言が、おかしいことや、意外なことや、凄そうなことのように感じられる。


 番組制作側に“何だか知らんが面白いこと”にされているわけで、馬鹿にされているとも受け取れる。
 しかし、何となくにぎやかな気分で時間が過ぎてくれるなら、それでいいじゃないか、という考え方もある。


 あの手のテロップを使う番組を見ることは、自分で自分の時間を使っているように勘違いしながら、実はただ間の悪さを埋めているだけなのかもしれない。


▲一番上の日記へ

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘二百三十八 まもなくあのテロップは、日英中韓、四カ国語併記になると聞きました。