あのテロップ、手口としては安易だが、考えようによっては奥が深い。
例えば、落語のくすぐりの部分をテロップで強調したら、噺家は怒るだろう。見ているわたしだって、怒る。
「お前なんぞに、ここが面白いんですよ、なんて教えられたかない」と思う(お前が誰なんだか知らないが)。
漫才やコントに入れられても、演者は怒るだろう。
しかし、ここらはそろそろ危険で、漫才はまだしばらく大丈夫だろうが、コントにはいい加減入れられてしまう頃合いではないか。あくまで霊感だが、そんなふうに感じる。
あのテロップが入ると、画面がにぎやかに見える。強調された発言が、おかしいことや、意外なことや、凄そうなことのように感じられる。
番組制作側に“何だか知らんが面白いこと”にされているわけで、馬鹿にされているとも受け取れる。
しかし、何となくにぎやかな気分で時間が過ぎてくれるなら、それでいいじゃないか、という考え方もある。
あの手のテロップを使う番組を見ることは、自分で自分の時間を使っているように勘違いしながら、実はただ間の悪さを埋めているだけなのかもしれない。
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「今日の嘘八百」
嘘二百三十八 まもなくあのテロップは、日英中韓、四カ国語併記になると聞きました。