スペインといえば、日本では「情熱の国」ということになっている。
「情熱の国スペインが生んだナンタラカンタラ」とやらかせば、何となく納得してしまいそうになる。
わたしはスペインに住んだこともなければ、行ったことすらないので、実際のところどうなのかは知らない。
なーんとなく、テレビや活字でフラメンコだの闘牛だのを見て、「情熱的だねえ」という印象を持っているが、これは日本にとってのゲイシャ、フジヤマ、カブキ、テンプラと同じようなものだろう。
あくまで例のいっこうに役に立たない霊感に基づくのだが、「情熱の国スペイン」と言っても、空港から出た瞬間にスペイン娘がいっせいに抱きついてくるわけではないと思う。
「情熱の国スペインが生んだ無気力男」だってきっといるはずだ。いや、ぜひいてほしい、と、同じ無気力男のシンパシーを込めて、わたしは願うのである。グローバルでワールドワイドで人類みな兄弟で一日一善の時代ですから。
イギリスといえば、紳士の国。紳士の国イギリスが生んだフーリガン。
まあ、この手のくくりやキャッチフレーズはわかりやすく、また語り手や書き手はたよりがちになってしまう。
先日の新聞で、金子達仁がノルウェーのサッカーについて、フィヨルドの大地とか、氷河がどうのと書いていた。
サッカーの文章にありがちな大げさな言い方をしてみただけだと思うけれども(それにしても、サッカーについての文章にはどうしてこの手の大仰な修飾が多いのだろう?)、実際にノルウェー出身のサッカー選手がどの程度、フィヨルドや氷河について考えたことがあるのか、訊いてみたい気はする。
彼らにしてみれば、日本人が外国人に「ゼン」を持ち出されたときのような、とまどいを感じるのではないか。
日本は何の国だろう。
「テンプラの国」はさすがに怒られるかな。
「和の国」は、まあまあか。
和の国、日本。きれいだ。
きれいだけれども、馴れ合いの国と紙一重、というか、表裏一体でもある。
和の国、日本が生んだ岡本太郎。
まあ、そう簡単にはいかん、ということです。
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「今日の嘘八百」
嘘百五十五 宇宙船地球号、燃料切れ。