創作料理の店というのがある。
世の中、これだけいろんな料理があって、うまいものも多いのに、なんでこのうえ創作せねばならんのか、とも思う。
しかし、これはたぶん、わたしが食べ物にそんなに興味がないからだろう。うまいものを食べるとラッキーと思うが、うまい店だと聞いて積極的に出かけてみることはない。
考えてみれば、音楽だって映画だって小説だって、すでにいろんな作品、素晴らしい作品が世の中にはある。しかし、新しい作品を作ろうという意欲が消えることはない。
料理も同じで、従来と同じ作り方に多少、自分なりの工夫を加えるという行き方(音楽で言えば、カバーにあたる)もあれば、例えば、和食にフランス料理の技法を取り入れて新しい料理を作る、という行き方もあるのだろう。
創作料理。まあ、別にいいんじやないの、と思う。
しかし、これの頭に「男の」とついたら、ダメだ。
男の創作料理の店
一人暮らしを始めた若い男には、なぜか創作料理に挑戦してしまう傾きがある。これを男の創作料理と呼ぶ。
自炊を始めて、最初は料理の本か何かを見ながら作るのだが、だんだんそれでは飽き足らなくなってくるのだ。
こうしたらどうだろう、と創意工夫――というより思いつきを試してみるのだけれども、何せ、料理に対する経験と技術と勘が圧倒的に不足している。
トマトケチャップを入れて肉じゃがを煮込んだら、イタリアンな感じになるのではないか、などと浅はかに考えて、結果、非常に悲惨な食い物ができあがるのである。
「男の創作料理の店」ではそうした料理が供される。
料理は、その日のインスピレーションによって作られるから、基本的にメニューというものはない。
もちろん、シェフには経験と技術と勘が圧倒的に不足している。食材と調味料を、自由自在に、臨機応変に、思いつきの赴くがままに奔放に組み合わせる。
料理を口にした客は、二重の意味で「食べ物を粗末にしてはいけません」という言葉を思い出すであろう。
わたしは、この店は遠慮しておく。
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「今日の嘘八百」
嘘百五十六 時よ止まれ。おれはかなり美しい。