ノリ、というのは、いったい、何なのだろうか。
上から読んでも山本山、下から読んでも山本山、って、そりゃ海苔だ。
ああ、あの落語の長屋によくいる婆さんね。端役中の端役の。井戸につるべ落っことしたり、家の前を通り過ぎたりするだけの、って、そりゃ糊屋のババア、だ。
今のがノリツッコミってやつだ。あはは。うまいね、どうも。
いや、そのノリでもないんだな。惜しいんだけど。
音楽に「ノる」とか、試合で「今日はノってるな」とか、あるでしょう。あれのことを言いたいのだ。
仕事なんかでもあるはずだ。「あいつは今、ノってんなあ」、なんていうのが。
ノっているときは、気分がいいものだ。
で、こう、口笛なんぞ吹いて、ひょいひょいひょいと軽やかなステップで、何事かをできてしまう。
義経八艘飛び、なんていうのも、あれはたぶん、ノっていたのだろう。
もっとも、とん、あ、とん、あ、とん、あ、とん、あ、とんとんとんとん、と飛んで、九艘目がなかった、なんてこともある。
わーっ、とそのまま関門海峡に落っこちて、ぶくぶくぶく。
本来、二位ノ尼とともに入水するはずだった安徳天皇も、ドジな義経に、きゃっきゃきゃっきゃと大喜びだろう。ノってる人も、多少の注意は必要だ。
たぶん、「ノる」という言い方は、「気分が乗る」とか、「調子に乗る」という言い方から来ているのだろう。
音楽にノっているときがそうであるように、ある種のパーな状態であるらしい。いい感じのパーな状態。
でもって、パーならではの集中した感じがあって、それで物事をうまく運べるのだと思う。
こんな吹けば飛ぶような文章(さっきからパソコンの画面をふーふー吹いているのだが、実際には飛ばないようである)を書いているときだって、ノるときがある。
後から読み返すと、ノって書いたときのほうが、調子がよくて、面白いことが多いようだ。
落語では、志ん生や志ん朝のような古今亭系は、言葉のリズムで、観客をどんどん乗せ、いい気分にさせていくのだそうだ。人物描写に力を入れる三遊亭系とは、落語というものの捉え方がだいぶ違うらしい。
わたしが、志ん生や志ん朝に惹かれるのは、そんなところに理由がありそうだ。
ま、ね。いい気分で過ごせりゃ、それに越したことはない。
ではでは、また明日。♪ウィ〜、シャ〜バダ〜バディバ、シャ〜バディバ〜。
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「今日の嘘八百」
嘘八十六 僕の記憶は80年しかもたない。