面子

 ブログであれ、掲示板であれ、自分が書いたことの一部を否定されたり、単にちょっと誤りを指摘されたりしただけで、ボッと燃え上がる人が多いようだ。
 燃え上がるのは、わたしに対する乙女のミナサンの恋心だけでよい。


 などと書いているわたしもそうで、そんなときはついつい自説に固執してしまう。冷静さを失っているものだから、書くことがアラだらけになり、さらに墓穴を掘ることになる。


 なんでそんなことになるのかなあ、と、常々、興味を持っているのだが、どうも、「面子」という感覚が関わっているらしい。


 メンツ、という読み方からして、元は中国語のようだ。和語で言うなら、「顔を立てる」とか、「顔をつぶされる」という言い方の「顔」。


 てめえの顔は元々、つぶれているようなものじゃねえか、というご指摘は無用に願いたい。その顔ではない。


 面子だの、顔をつぶされるだの、随分、古くさい話のように思うけれども、これがそうではないらしい。


 インターネット上の書き込みで、どんどん荒れていく過程を見ていくと、どうも「顔をつぶされた」と感情が激して、書き方がどんどん過激になるケースが多いようだ。


「顔をつぶされた」となると、これはもう人格に関わる話だから、議論ではない。
 勝つか逃げるか、生き残るか消え去るか、という問題になってくる。
 しばしば、理や非の形を借りた人格攻撃のようなものになっていき、燃え尽きるまで叩き合う。「死ね」などというキツい言葉が出てくるのはそのせいだろう。


 まあ、子供のけんかみたいでもあるが。


「面子にかかわる」とか、「顔をつぶされる」なんていう物の感じ方は、どういうふうにして親(の世代)から子(の世代)へと伝わっていくのかね。興味はわくが、よくわからない。


 そもそも、男なら、生まれた直後に「ヨシ! ちゃんと付いてる。かわいいけど。アハハハハ」と一方的に顔をつぶされてるんだけどねえ。


 まあ、のんびりいきましょうや。



顔をつぶす


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「今日の嘘八百」


嘘七十七 不老長寿の薬を発明したが、飲むと、瀕死の状態になるのが欠点だ。