父と電力

 わたしの父は電力会社に勤めていた。


 以前、飲んでいて、「電力自由化、あれは誰にもいいことないぞ」と言ったことがある。


 父は昭和三十年代初めに電力会社に入り、以来、ダムや発電所の土木の仕事をしてきた。
 本社勤務のとき以外、帰ってくるのは土曜の夜で、月曜の朝食の席にはすでに姿がなかった。だから、日曜日以外、うちは母子家庭だった。


 水力発電の仕事が中心だったから、勤務先は結構、大変なところが多かったろうと思う。


 何しろ、富山県の山奥である。冬場には雪が数メートル積もる。道だってロクなものはないし、作業するにも足場は悪い。山林で冷たい雨を浴びながら作業したこともあったろう。


 春から秋にかけては熊が出る。子供の頃、何度か、山から持ち帰った熊の肉を、クマ・シチューにして食べたことがある。
 熊の肉は硬いので、シチューにでもしないと食べられないのだ。口に入れたら、熊の毛が混じっていたこともあった。


 おそらく、わたしの体の0.0002%ほどは熊の肉からできているだろうと思われる。


 父がダムや水力発電所をおっ建てていた頃、発電はバリバリに規制分野であった。
 しかし、父に「守られている」という意識はなかったろうと思う。むしろ、電力の安定供給、増大する電力需要への対応を使命と感じていたのではないか。


 何だか、「父の背中」みたいな文章になってきた。わたしは今、泣きながらこれを書いているわけであるが、考えてみれば、父はまだぴんぴんしており、思いっきり飲んだくれているのであった。だから、皆さんは泣かないでください。