パキパキの人

 随分前のことなのに、妙によく覚えていることがある。


 もう10年以上前だと思うが、仕事がらみでスウェーデンの中年の女性と話をした。
 ライターだったか、編集者だったか、企画関連の人だったか、職業は忘れた。


 名前を仮にフリーダさんとしておこうか。


 フリーダさんは初めて日本に来た。そうして、やたらとコーフンしているのである。


「ニッポンは素晴らしい!」
「何がですか」
「地下鉄のシートよ。ベルベットじゃないの! もう、スリスリしちゃったわ!!」


 いや、「スリスリ」に当たる英単語を彼女が使ったかどうか、わからない。ただ、仕草でそう言わんとしていることはわかった(10年以上前の話だ。会話は今、テキトーに作っている)。


 わたしがキョトンとしていると、
スウェーデンの地下鉄じゃ、シートにベルベットなんか使えないわよ。すぐにナイフで裂かれちゃうわ」


 なるほど。ワカゾーのいたずらでやられるというのだろう。


 昔、ストックホルムの地下鉄に乗ったことがある。人が多い時間帯なら何ということもないのだが、人が少なくなると、ちょっと怖い感じはあった。


「車内もきれいよね。落書きもないし。何でかしら」
「うーん、恥の文化みたいなものがあるからかなあ」
 と、わたしは、今思えば、それこそ恥ずかしい意見を平気で述べた。


 日本の地下鉄がきれいなのは、人々が公共のものを汚したり、いたずらしたりすることを、恥ずかしいと感じるからではない。別の理由による。


 しかし、まあ、そのときはそう言ってしまった。
 慣れない英会話で、考えが粗雑になったのかもしれない。あるいは、外国人相手に、とりあえずリッパそうなことを言ってみたかったのだろうか。


「おお、それは素晴らしい! それは素晴らしい!!」
 と、フリーダさんのコーフンはいや増した。


 いやね、人目を気にしすぎて生きるのも楽じゃないんだけどね、と言おうと思ったのだが、とっさに英語にできなかった。


「この間、ロシアに行ったの。ロシア人は『椅子の脚が壊れた』、『蛇口から水が漏れる』、『この国はもうダメだ』と嘆いては、ウォッカばかり飲んでるのよ。私、工具を渡して言ってやったわ。『Fix it!(自分で直しなさいよ!)』って」


 わたしは、そう堂々と言ってのけるフリーダさんにも驚いたが、彼女が工具を持って旅行していることにも驚いた。


 話の最後に、フリーダさんはニコニコしながら言った。


「あなたにちょっとしたプレゼントがあるの。とてもスウェーデンらしいお土産よ」


 そう言って、彼女はバッグからメジャーを取り出した。バネ式の、ボタンを押したら、ひゅるるるるる、と、物差しを巻き取るタイプだ。


「こんなもの、日本にあるかしら? スウェーデン人はこういうものを愛用する国民なの」


 金物屋でいくらでも売ってますよ、と言うべきだったのかもしれないが、フリーダさんがあまりに得意げなので、言いそびれた。


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「今日の嘘八百」


嘘三十七 子供の頃、嘘は絶対にいけないと、親に嘘を教えられた。