テレビや映画には、よく世界征服をたくらむ人々というのが出てくる。
あの人々、世界を征服してから、何をするつもりなのだろうか。
逆に言うと、何を目的に世界を征服するのか。
どうもよくわからない。
自分に引きつけて考えてみよう。
もしわたしが世界を征服したら、何をしたいか。
別に宮殿から大観衆の歓呼に手を振って応えたいわけではない。そんなことしたら、照れてしまいそうだ。
世界征服を成し遂げて、照れてしまうボス。
照れるボス
どうもこういうのはいかん、という気がするのである。なぜかはよくわからないけれども。
あれだな。わたしが征服者なら、まずファンシーグッズと、あの面妖な、縦に目の長いアニメ調の絵を駆逐するな。
それから、それから……いかん。他にはなーんにも思い浮かばない。
山海の珍味なんて、別に食いたくない。
「これは、アフリカのある部族に伝わる、シマウマの内臓のシオカラです」
なんていって、クチャッとした赤紫色の、得体の知れない食い物を持ってこられても困るのだ。
美女をはべらすのは、ちょっとやってみたいかな。
葉巻くゆらせて、ブランデーグラスを揺らしてさ……って、どうも、発想が陳腐だ。
うーん、困った。
テレビや映画の世界征服をたくらむ人々も、案外、ホントに征服しちゃったら、困るんじゃないか。
そういう意味では、征服してしまった後よりも、征服に至る過程のほうが大事であり、これはつまり、カミュのシーシュポスの神話とか言うやつだ。
ギリシア神話のシーシュポスは、神から与えられた罰により、坂の上に岩を運び続ける。坂の上まで岩を運ぶと、岩は下まで落ちる。
しかし、その岩を運び続ける行為にこそ、実は人生の意味はあるのだ――とか何とか、そんな話を大学時代に呼んだ覚えがある。
あの世界征服をたくらむやつら、案外、深い人々だったのかもしれない。
ただキーキー言っているだけじゃなかったのか。知らんけど。
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「今日の嘘八百」