世界はいつも突然の出会いから生まれる

 スカしたタイトルをつけてみた。しかし、書くことがくだらないのはいつもの通りだ。


 関係のない言葉と言葉を無理矢理くっつけると、わけのわからん新しい世界が生まれることがある。


 初対面の男女を無理矢理一部屋に放り込むと、十月十日後にもうひとり増えているようなものだ。
 遠くて近いは男女の仲、近くて遠いは田舎の道、と清少納言枕草子に書いている*1


 諺というものがあって、それぞれ、独特の世界観がある。
 では、諺の部分、部分を入れ替えると、どんな世界が生まれるか、というのが今日の試みだ。


 まずは材料となる諺を挙げておこう。


秋茄子は嫁に食わすな


いざ鎌倉


犬も歩けば棒に当たる


風が吹けば桶屋が儲かる


河童の川流れ


弘法も筆の誤り


月夜に釜を抜かれる


雉も鳴かずば撃たれまい


猿も木から落ちる


大山鳴動して鼠一匹


塵も積もれば山となる


 とりあえずはこんなところでいいかな。


 まずはシンプルなところから行ってみよう。


いざ秋茄子


 よほど食い意地の張った人であろう。さあ、食うぞ! 食って、食って、食いまくってやる! という意気込みが伝わってくる。


 その意気込みは買わんでもないが、たかが茄子だ。そこまで気合い入れずとも、と思う。


 では、次。


犬も歩けば撃たれまい


 これはひどい
 立ち止まった犬は撃たれてしまうのだ。歩け、歩け、犬。命が大事なら、歩き続けろ。キャンキャン。


大山鳴動して山となる


 これはあれだな。造山運動のことを言っているんだろうな。プレートとプレートが押し合って、ヒマラヤがムニムニと伸びていったとかいうやつ。確か、高校の地学で習った。


弘法の川流れ


 弘法大師が泳ごうとして、溺れてしまったのである。わーっ、助けてくれー、ハンニャハラミーター、などと言うのであろうか。ごぼごぼごぼ。


 お爺さんは山に芝刈りに(ブルジョワだね)、お婆さんは川に洗濯に行くと、川上からどんぶらこ、どんぶらこ、と弘法大師が流れてくるわけだ。知らんけど。


弘法も木から落ちる


 弘法さん、今度は木に登ったらしい。わーっ、助けてくれー、ハンニャハラミーター。


 ドサッ。


弘法も鳴かずば撃たれまい


 しかも、鳴いてしまったようだ。撃った猟師もびっくりしたろう。


大山鳴動して弘法一匹


 イッタイ何ヲシテオルノデアロウカ、弘法サンハ。ソンナトコロデ。


弘法に釜を抜かれる


 いやまあ、お寺というのは、昔からそういうところだと聞いておりますが。


弘法鳴動して嫁一匹


 さっぱり事情がわからんが、何となく、「隠し妻」という言葉を思い浮かべる。やっぱり、真言密教の秘法とか使うのであろうか。きっと、スゴいんだろうなあ。


 思わぬ弘法大師シリーズになってしまったが、最後はきれいに締めたい。


風が吹けば鎌倉


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「今日の嘘八百」


嘘二十二 小津安二郎の撮ったスパイ映画が見つかった。

*1:嘘である。