薬売り

 私は富山の出身で、18歳で東京に出てきた(←この「出てきた」という表現は地方出身者に刷り込まれたコンプレックスの表れである)。


 人に「田舎は富山です」というと、かなりの確率で、富山の薬売りの話になる。
 たぶん、相手側からすると、他に富山について知っていることがあまりないのだろう。仕方がない。わたしだって、知っていることがあまりないくらいだから。


 他には「魚がおいしいですね」というのもあるが、食べ物にあまり興味がないので、「そうですね」と流すしかない(何しろ、パルメザン・チーズをずっとパルチザン・チーズと思っていたくらいだ)。


「いいところですね」と言う人もいる。たぶん、話題を何も思いつかなかったのだと思う。
 こちらとしては「いや、そうでもないです」と答えるのも剣呑なので、「ええ、まあ」とモゴモゴするしかない。


 だから、薬売りの話題を持ち出した人は、ほとんど、背水の陣なのである。
 何しろ、これで話が途切れたら、他に話すことがなくなってしまう。


イタイイタイ病で有名ですね」というのもあるが、さすがにちょっと、気が引けるだろう(わたしとしてはこっちのほうが話しやすいのだが。何しろ、子供の頃、問題の川の水をガブガブ飲んだことがある)。


「ちんどんコンクールで有名ですね」という人がいたら、かなり富山マニアな人だ。マニアすぎて、逆にこっちがついていけない。


 そんなわけで、背水の陣の富山の薬売り。


 ところが、少なくともわたしの場合、これまた話が続かないのである。


 親戚にも、友達の父親にも売薬さん(と呼ぶ)はいたが、仕事についてよく知らない。
 それはそうだろう。富山の子供が売薬さんの仕事についてよく知らないのは、他の土地の子供が証券マンの仕事についてよく知らなかったり、ネジの工場で仕入れを担当している人の仕事についてよく知らなかったりするのと同じだからだ。
「あまり自分の世界には関係しない職業」に過ぎなかったのである。


 そんなわけで、ガキの頃までしか富山に住んでいなかったわたしとしては、薬売りの話題を振られても、話すことがないのだ。


 背水の陣、見事に川に転落。


 富山の薬売りは、得意先の家に薬を置いていき、1年に1回(だったか?)やってきて、使った分のお金をもらう。そうして、薬を補充する。


 これ、実は東京に来てから知ったことである。


 なぜなら、富山の家庭には富山の薬売りは来ないからだ。富山の薬売りの薬は、富山の場合、近くの薬屋に売っているのである。


 英雄は、えてして、故郷で正しく評価されないものだ。
 ……ちょっと違うな。


 富貴にして故郷に帰らざるは錦を着て夜行くが如し
 ……かなり違うな。


 門前の小僧習わぬ経を読む

 ……全然違うな。


 ともあれ、売薬さん、ご苦労様。


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「今日の嘘八百」


嘘十九 髪の毛に神経が通っている人がいて、痛いので散髪できない。