バカヤロー解散

 今や伝説と化している衆議院解散に、昭和28年(1953年)、吉田茂内閣の「バカヤロー解散」というのがある。


「バカヤロー解散」と聞くと、吉田茂が国会で「バカヤロー!」と怒鳴り、議場が一気に紛糾して解散してしまったように想像してしまう。
 しかし、真相はもう少し陰険なものだったらしい。吉田茂の「馬鹿野郎」発言を政敵達が後日、問題にし(=利用し)、やむをえず、吉田茂解散に踏み切った、ということのようだ。


「戦後政治家暴言録」(保阪正康著、中公新書クラレ)には、「馬鹿野郎」発言のくだりをこう書いてある。右派社会党西村栄一議員がやや挑発的な質問をした。


西村 総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮の必要はないじゃないか。(吉田国務大臣「無礼なことをいうな」と呼ぶ)
西村 何が無礼だ。(吉田国務大臣「無礼じゃないか」と呼ぶ)
西村 質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。(中略)答弁できないのか君は……(保阪注・吉田は年齢もはるか下の西村に「君」呼ばわりされて立腹したらしい。速記録には、ここで「吉田国務大臣『ばかやろう』と呼ぶ」とある)。
西村 何がばかやろうだ。ばかやろうとは何事だ。これを取消さない限りは、私はお聞きしない。議員をつかまえて、国民の代表をつかまえて、ばかやろうとは何事だ。取消しなさい。私はきょうは静かに言説を聞いてる。何を私の言うことに興奮する必要がある。
吉田 ……私の言葉は不穏当でありましたから、はっきり取消します。


 吉田茂は東京生まれの東京育ち。


 大実業家の家に育ち、東京帝大から外務官僚を経て政界入りしたエリートだから、下町育ちという意味での江戸っ子とは違うだろう。
 それでも、「馬鹿野郎」は東京人らしい歯切れのいい啖呵だと思う。あくまで想像だが、吉田茂は割と日常的に使っていた言葉なのではないか。


 で、ここから話はぐっとくだらない方向へと走り始めるのだが、吉田茂が大阪人だったら、どうだろう。「アホンダラ解散」になったのだろうか。


 あるいは、吉田茂が子供っぽかったら。


西村 総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮の必要はないじゃないか。
吉田 無礼なことをいうな。
西村 何が無礼だ。
吉田 無礼じゃないか。
西村 質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。
吉田 おまえの母ちゃん、デーベーソ!
西村 何がデベソだ。デベソとは何事だ。これを取消さない限りは、私はお聞きしない。議員をつかまえて、国民の代表をつかまえて、「おまえの母ちゃん、デーベーソ!」とは何事だ。取消しなさい。取消しなさい。私の母親はデベソなんかじゃない!


 まんま、子供のケンカである。後に、「おまえの母ちゃん、デベソ」解散と呼ばれるようになったのだろうか。


 さらに、吉田茂がオカマだった場合、事態はさらに複雑化する。


西村 総理大臣はコーフンしない方がよろしい。別にコーフンの必要はないじゃないか。
吉田 ……うんもう、ばか。
西村 何が「うんもう、ばか。」だ。「うんもう、ばか。」とは何事だ。わっ! な、何をしている!!


 西村議員のうろたえぶりがうかがえる。西村議員も、吉田茂の場をわきまえぬ直接的な行動に、ドギマギしたらしい。


 この「問題発言」が、後に吉田内閣の不信任案へと結びつくわけである。


 別に、総理大臣がオカマだってかまわないと思うのだけどね。
 でも、きっと困るんだろうな、まわりが。対処の仕方に。なんとなくダケド。


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