夏に「坊っちゃん」を読むなんて、中学生か高校生の夏休みみたいだが、それはそれで楽しかった。
読み直してみると、表向きは意外とさらりとしている。あれ、こんなもんだっけ、という感じだ。
「坊っちゃん」の感想文は、中高生の夏休みの宿題の定番らしいが、これ、たぶん、題材としてはなかなか手強いと思う。
「僕は赤シャツと野だは悪いやつだと思いました。最後に坊っちゃんと山嵐がふたりでやっつけるところで僕はスカッとしました。でも、僕は暴力はいけないと思います」
で済ませられればよかろうが、それではいい点をもらえまい。
一方で、「日本における“近代”は、いわば舶来品としてやって来たわけだが〜」などとやらかすのも、中高生には荷が重いだろう。
立派な感想はわたしにも書けそうにないので、とりあえず赤坂あさはか方面へと逃げることにするぞなもし。
「坊っちゃん」の舞台、松山は随分、人気(じんき)の悪い土地として書かれている。
松山の人間でいくらか好意的に書かれているのは、生真面目で可哀想なうらなり君と、二度目の下宿の婆さんくらいである。
その婆さんだって、芋と豆腐ばかり食わせるけちん坊として描かれている。主人公と気の合う山嵐は、会津の出身だ。
後はひどいものである。
漱石が「坊っちゃん」を書いた理由の半分くらいは、実は松山の悪口を書きたかったんじゃないか(漱石はかつて松山の中学で教えていたことがある)、と思うくらいだ。
しかるに、今の松山である。
こういうのは、どう考えればいいのだろう?
あるいは、これ。
まだあるぞ。
ついでだ。
使えるものは使っておく、ということなのだろうが、何かこう、節度とか、自制というものが、もう少しあってもいいように思うのである。
まあ、「坊っちゃんスタジアム」の横に、「赤シャツ・テニスクラブ」でも併設してあれば、洒落になっていいけど。
ところで、松山の中高生は、自分の地をクソミソに書かれた「坊っちゃん」をどういうふうに読むのかね。団子は別にいらんから、彼ら・彼女らの感想文を読んでみたい。